リレー小説 合宿2024(仮題) vol.7

先日の春合宿の際に、会員八名によるリレー小説を作成しました。3/28から4/4にわたっての八日間での連載を予定しています。

 白々しく反射していた——その陽光が、魁偉な異形に遮られる。
「——————」
 無数の瓦礫の破片と共に、一直線に落下してくる双頭の巨竜。全長一二〇メートル。推定体重七万八千トン。その速度が不自然なほど緩慢に見えるのは、あまりの大きさに遠近感が狂わせられるからだ。
 だが、しかし、このときは。このときばかりは。
 走馬灯よろしくこの一ヶ月を回顧する彼の脳髄の回転数が、世界の全てを置き去りにしたが故であった。
 ピンポン。ピンポン。敷きっぱなしの布団。ドア越しの視線の耕作。先輩。口の端から垂れた糸。「もう手遅れみたい」ドアチェーン。異形。複眼。複眼。複眼! 旅館。冷たな海。眠気。ピンポン。伝承。お蚕様。大蚕様。村。選ばれた。嫌いだ。大嫌いだ。ピンポン。ピンポン。海岸。倒れ臥す。二頭の怪獣。そこから生えた男の身体。ぬるりと抜ける。飲み込む海。ピンポン。ピンポン。ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン————。
 ——おお、しるべじゃ。
 ——お蚕様のしるべじゃぞ。
「ああ……そうか」
 とっくの昔から、選ばれていたんだ。
 生まれ育ったあの村の、古い旅館で。
  二柱の荒神様に逢ったあの夏の日に。
 ——おめでとう、イレギュラー。
 ——君は揺籃のなかで幸せな夢を見て、羽化するんだ。
「あまつ金木をもと討ち斬りて」
 蚕の神巫かんなぎの導くままに。
「繭籠りしろし召し賜いて」
 祝詞のりとが彼の口からまろび出る。
「御姿を顕わし賜え!」
 かくして三柱目の神が顕現した。

 同刻。
「なんとか間に合ったか」
 革張りの椅子に深く腰掛けるその男は、机上の薄型モニターを見つめながら溜息混じりに呟いた。歳の頃は五十路と言ったところか。口調と同じく草臥れきったスーツに首をうずめ、肘掛けを使って頬杖をつきながら独り言のように続ける。
「神巫が憑代とともに遁走したときには国家滅亡の秋かと思ったが、彼女は御役目を果たしたようだな。私の首も繋がるというものだよ」
「長官殿」
 そのとき、彼を諌めるような声がした。
「失礼ながら、未だ危機は去ってはおりません」
 声の主人は男の正面、書斎机を挟んだ向かいに立つ女だった。男と比べれば二回り以上若いが、草臥れた彼とは対照的な威儀を放っている。それは並みの成人男性を遥かに凌ぐ長身と、厚縁眼鏡の奥から覗く眼光の鋭さ、そして、朱塗りの水干という異装がもたらすものだった。
「先の大戦でも十年前の一件でも、我々官吏の楽観、希望的観測が悲劇を招いたことをお忘れなく」
 その気迫を受け流し、男は白けたように鼻を鳴らす。
「はっ。官吏かね、我々が」
「官吏ですとも。人事院の名簿に名前が載ったことがなくとも、です」
 そう、彼らは国家公務員であった。ただし男の嫌味や女の注釈にも意味がある。この部屋や彼らが所属する組織と同じく、国家の表向きの文書には存在が記されていないという点において彼らは特殊な立場にあった。
 東京都千代田区、千代田一番一号。皇居と呼ばれる空間の、一角に佇む宮内庁庁舎——その存在しない地下八階。
 正式名称、宮内庁陰陽部。
 現在、混乱の只中にあるこの国の行政機関の中で、唯一事態を完全に把握しているのが彼らであった。
「まあ良いがね。行政実務上の語用論などという俗事に興味はない。俗世の外にはみ出る怪異を統べ治めること——それが文武帝の御代から連綿と続いてきた我々の所掌だろう」
「ええ、そこは同意できますとも……おや、失礼」
 一言断り、女は水干の袖からスマートホンを取り出して耳に当てた。陰陽部職員に支給される業務用の端末だが、古代じみた服装と現代的な機械の取り合わせがあまりにチグハグである。
「私です………………っっっ!」
 端末の向こうから届いた報告を聞き、彼女の白貌に憤怒の相が現れる。
「はい、はい。…………追って連絡します。今は軽挙を控えるように」
「どうかしたかね」
 相変わらず草臥れた声で尋ねる陰陽部長官に、彼女は歯軋りしそうな面相で応じた。
「米軍が介入するようです。市ヶ谷への出向者から連絡が」
「はっ、神々の争いに人の兵器が何するものぞ。ケーニヒスベルクの一件で何も学ばなかったのか?」
「学んだと思い込んでいるからでしょう。例の新兵器とやらを導入するようです」
「傲慢な米国人らしい発想だな。彼らの専横を止められない我が国の国防組織の不甲斐なさには情けなくなるばかりだが……いや、手を組んでいると考えるのが自然か」
「ええ、陰陽部を疎んでいるのは市ヶ谷も同じですから。自衛隊を動かすことは困難でも、在日米軍が勝手に動いたということなら言い訳もつくという判断でしょう」
「…………」
 もう一度大きく溜息をつき、宮内庁陰陽部長官はモニターに視線を遣った。そこでは、新たに出現した三柱目の神——俗世の呼称では怪獣——が他の二柱と睨み合いの状態にある。ここから僅か数キロ先の光景だ。地上へ上がれば彼らの巨体が間近に見えるだろう。核シェルター並みの強度を誇るこのフロアから出るつもりはないが。
「いよいよ大詰めだな。我らが神の武運を祈り奉ろうじゃないか」

(グーテンモルガン)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?