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不揃いであるということ

「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。」  ヨハネによる福音書 17:21


イエス様の祈りは、「みんなを一つにしてください。」であって、「みんなが同じになるようにしてください。」ではありませんでした。

わたしたちは、誰かと同じようにできない時に、劣等感や罪悪感を覚えます。
「毎朝●時に起きて、●時間聖書を読んでいます。」
「毎日●時間、誰かのために祈っています。」
「毎日欠かさずディボーションノートを書いています。」
と聞くと、お手本にしたいとは思いつつ、やった方がいいとは分かりつつ、なかなか出来ない自分がいて、その場をこっそり離れたくなります。

ですが、イエス様はディボーションノートを書いていませんでしたし、アダムとモーセとヨセフとダビデとパウロは、それぞれ違う生活の仕方の中で、神様と対話していました。

一人で聖書を読むのが合っていると思う、という人もいるでしょう。
グループでディスカッションしながら聖書を読む方が心に沁みる、という人もいるでしょう。

神様はわたしたちを同じようには造られていないことを、思い出してください。わたしたちが不揃いであることは、神様の御心です。「~しなきゃ。」「~すべき。」ではなく、わたしたちが心から神様とつながりたいと思う時に、そこには自由があります。それぞれに合った方法を神様が用意してくださっているからです。

どんな方法が自分に合っているか自分で決めてしまわないで、それも神様に聞いてみるというのが、大事なポイントです。