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なんでも祈ってよい。

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」
ピリピ人への手紙 4:6

と言われて、アタマでは理解しつつも、実際に祈るときには、”祈るべき”だと思うことを祈ってしまうことはありませんか?
自分の思っていることや考えていることをそのまま祈りの言葉にするのをためらってしまうことはありませんか?
自分の思っていることや考えていることは神様の御前に差し出すのにふさわしくないと思うことはありませんか?

パウロは「何も思い煩わないで」と言っています。
自分が語る言葉をそのまま、自分の心の中にある言葉をそのまま祈りにしてよい。そう言っているのだと思います。

親の立場になって考えてみると、子どもがどんな話をしてくれるのが嬉しいでしょうか。
お行儀よく、褒められるような内容の話だけをしてほしいでしょうか?

親にとって大事なのは、”子どもが素直になんでも話してくれること”だと思います。子どもの思うこと・考えること・やることのすべてが望ましいものでないとしても、それらを正直に話してくれる限りは安心して関わることができるのではないでしょうか。

父なる神様も、わたしたちの素直で正直な思いを待っておられるのだと思います。
ただ一つ、イエス・キリストをお手本とするわたしたちが覚えておきたいのは、「しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」(マルコ14:36)と付け加えることです。