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くびきを負うということ

わたしたちの人生には、たくさんの悩みや苦しみがあります。聖書はそれらを「重荷」と呼び、そして、このようにわたしたちに語りかけています。


「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負いなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」マタイによる福音書11:29


重荷を負っているのだから、「休ませてあげよう」というのは、よく分かります。しかし、「安らぎを得る」ために、「くびきを負う」というのは、よく分からないことです。

そもそも「くびき」というもの自体がわたしたちにはなじみが薄いものです。これは、2頭の牛をつないで、一緒に歩かせ、働かせるための道具です。2頭の牛がバラバラに動こうとすると、木と首が接しているところに力がかかって、痛みます。イエス・キリストのくびきを負うということは、イエス・キリストと足並みを揃えるということです。

イエス・キリストの歩き方は、「柔和」で「謙遜」です。(それぞれの言葉の意味は辞書で調べて確認してください。)となると、わたしたちがイエス・キリストのように柔和で謙遜な生き方をするならば、安らぎを得られる。そういうことになるのです。

神様は、わたしたちが苦労しないラクな人生を生きることには関心がないようです。わたしたちが内面からイエス・キリストのように変えられていくことに、神様の関心・願いはあるようです。