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鹿児島伯林的管弦楽団 あれから30年

「鹿児島伯林的管弦楽団のブルックナーを聴きに行かないか」と夫が言った。

いつもの夫の趣味のお供に躊躇した。夏バテ気味の身体に出不精ときている。

「たまにはいいかもね」行く選択をした。

このオーケストラの名前には『伯林』の文字がある、それを見ると必ず思い出すことがある。

もう30年程前、家族で実家に帰省している時、テレビのクイズ番組をみんなで観ていた。
ある漢字の読み仮名問題を見て、子供たちと私は首を傾げていた。すると、当時60代の母が「ベルリン」と落ち着いた声で言った。テレビ画面には『伯林』の二文字が映っていた。

小学生の二人の息子と幼稚園児の娘が後ろを振り向いて「オー、ばあちゃんすごい!」と言った。嬉しそうな表情が『これくらい簡単よ』と言っているようだった。夫は知らないふりで、私の母に花を持たせた。
ある日、何という漢字だったかは不明だが「宮崎美子が読めない漢字を私は読めたのよ」と嬉しそうに言ったことがある。漢字の得意な、有名女優さんをライバル視していたとは驚いた。今は亡き母の懐かしい思い出だ。

続いては、このオーケストラのコンサンートに初めて家族で行った30年近く前のこと。
演奏はマーラーの交響曲だった。
クラッシック音楽のよく分からない私でさえ、壮大な曲に感動した覚えがある。
家族で一番夢中になっていたのは、当時小学3年生の次男だった。私たちの知らぬ間に舞台下の左側に立ち、頭をもたげ真剣に演奏を聞いていた。
連れ戻しに行くとかえって雑音で迷惑になると思い、静かに見守ることにした。そして、微動だにせず聴き入る息子に『初めてのオーケストラに感動しているんだなぁ』と嬉しくもあった。

演奏終了後に夫が驚いた顔で「Kが来ていた、学校の先生が演奏をされたそうだ」

「K君も来てたの、人が沢山いるのによく気付いたね」

「向こうが気付いて話しかけてきたんだ」

彼は夫の甥っ子で、当時中学校の部活でクラリネットを吹いていた。
現在は、藝大でバイオリ二ストを目指して研鑽を積む一人娘の父親である。時の流れをしみじみ思う。

その翌日は、夫が座卓で書き物をしていた。近寄り難いその背中は、受験生が必死に勉強する様な雰囲気が漂っていた。
書き終えた頃に聞いてみた。

「何をそんなに真剣に書いたの」覗き込むと、何枚かの便箋に丁寧な文字が書かれていた。

「昨日の演奏の感想だ」

「手紙を出すの?」

「そうだよ」

感謝と感想が綴られていたのだろう。ここにも大感激をしている人が一人いた。夫はそれから、この交響楽団の大ファンである。

ここからは令和5年8月27日、加音ホールで行われたブルックナー交響曲第8番、指揮 中井章徳氏の演奏を聞いた稚拙な感想を少しばかり。

ランチの後、ギリギリ間に合うくらいにホールに着いた。
一番良いとされる真ん中当たりから後方の席は、沢山の観客で埋められていた。
私たち夫婦は、真ん中より少し前の空いた席を見つけ静かに腰掛けた。舞台では、100人以上の演奏者が調整中だった。

演奏前に撮影

満腹の後のクラッシックには眠気を誘われると覚悟していたが、美しい音色に脳は覚醒した。
静かに聴き入っていると、指揮者が右腕を勢いよく回して演奏が盛り上がる場面があった。
甲子園球児が3塁を回る時、控え選手が『走れ走れ』と腕を大きく回すような姿を彷彿とさせた。それが目を引いて面白かった。
『そっちなの、音を聴いてくださいな』と思う自分もいた。

マーラーのように荘厳な曲だ、目を瞑って自分でストーリーを考えようと、とてつもなく偉そうなことを思いついた。

不穏な世の中を案じているような、哀愁漂う山河が脳裏に浮かぶ。民衆が集い乗り越えて立ち上がり前進して行く、けして銃や槍をもつ戦ではない。
まるで流行病に翻弄される、今の人々を勇気づけるようなイメージが湧き上がってきた。

暫くして、目を開けなければ指揮者の動きが見れない、これは勿体ないと気付いた。目を開けると指揮者の両腕がしなやかに動き、白鳥の湖が連想されるような穏やかな風景が浮かんだ。
すっかり満足した演奏会で、時間もあっという間に過ぎた。

帰りの車中で話が弾んだ。

「指揮者も素晴らしくて、動きが興味深かった。来て良かった」と私が言った。

「佐渡裕に似てるなぁ」

「ちょっと違うような」

「下野竜也にも師事してるなぁ」

「鹿児島出身の著名な指揮者ね」

「来年はマーラーらしいぞ」

「パンフレットに載っていたね、また行きたい」

来年のお楽しみ

音楽に癒され、免疫力が高まるような一日だった。

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