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関西の旅3日目

いよいよ、旅も3日目の最終日になった。ホテルニューオオタニ大阪のチェックアウトは、以外にも遅く昼の12時だった。ホテルは大阪城が庭と言われるくらい、大阪城観光には打ってつけの場所だった。8階の部屋は眺望がよく、スポットライトを浴びて夜景に映える大阪城を窓越しに見た。

朝食を摂るために館内のレストランへ行くと、これぞインバウンドと言わんばかりに外国人が多かった。所狭しと何人もの日本人ウエイターが、流暢な英語と姿勢の良いスマートな動きで接客をしていた。

海外の観光客には、円安と彼等にとっては安い日本の物価や、日本文化などが魅力的なのだろう。日本の立ち位置はこれで良いのだろうか。日本経済が外国に主導権を握られている現状を、脱却する政治が行われる為には『国民一人一人の意識が大切だ』と、強く思った。ゆっくり朝食を済ませ10時頃にチェックアウトした。

この日も大阪城公園駅のロッカーに荷物を預け、それからコンビニでペットボトルの水を買い、いざ大阪城を目指した。
坂道の途中、左手で手摺りを掴まえ、そろりそろりと足を気遣いながら登って行く若い女性がいた。一人の青年が彼女の背中を片手で軽く支えていた。『気をつけて、無理しないでね』と可哀想に思いながら、その東洋人カップルを追い越した。
駅から15分程歩いて、ようやく大阪城に着いた。先ずは想像以上に高さのある立派な石垣の前で、夫に写真を撮ってもらうと、それに同化したように私が小さく写っていた。

石垣と俯く人(笑)

お城の受付に向かう行例に私たち夫婦も並ぶと、周りは殆ど外国人で海外旅行のような雰囲気だった。何年か前に名古屋城に行った時は、大阪城より遥かに長い行例だった。その時より、かなり短い行列に思わず嬉しくなった。
日焼けした警備員らしき中年男性が、プラカードを持って汗だくで右に左に移動し『スマホで受付ができます』と英語と日本語で案内中だった。そのお陰でチケットを窓口で買う必要が無く、どんどん捌けて列が短いのだと合点が行った。私もスマホの受付に3回も挑戦したが、失敗し諦めて窓口のお姉さんから入場券を購入した。日々進化する世の中に付いて行ってない。
昨年、内閣府HPでムーンショット計画を見た。医療目的で人間の脳にチップを埋め込む、気象制御による極端な風水害の軽減等、脳も天気もコントロールしようとは驚愕だった。

城内の階段は、コンクリート作りの急勾配で幅が狭く、皆んな一歩一歩ゆっくり上り下りしていた。各階は博物館のように、壁面に資料等が展示してありガラス張りになっていた。人の多さで丁寧な観覧は出来ず、戦国時代を偲ぶには至らなかった。しかし最上階から見る青い空と、広場にいる米粒程に見える人達を見下ろし、壮大なお城に立つ殿様気分が味わえた。

城内を出て、広場の椅子に腰掛けて休憩をしていると、目の前を通る人たちの様々なファッションが良い目の保養になった。概ね白人はラフな格好で、東洋人男性は髪型が整い、女性はお洒落に見えた。

「大阪城と言えば秀吉と思ってる人が多いけど、徳川の権力誇示のために、夏の陣で落城した城の石垣を、秀忠が家康の命で埋めて、その上から盛り土で隠して再築したんだ」
「石垣は燃えないしね」
「実際に掘ると、それが出てくるらしい」と、夫が興味深い話をした。

大阪城見学後の昼食は、初日に夕飯を食べた『実身美』と決めていた。初めて行く時よりも、近い場所にあるように感じ乍ら歩いた。お店の入り口付近で、女性が数人並んで待っていた。
私は、先日夫が夕飯に食べた玄米ラーメンを狙っていた。
『隣りの食事は美味しく見える』次は私もそれにしよう、と思うこと幾度となくありにけり...
しかし、残念なことにランチのメニューは定食のみだった。それでも、美味しい玄米と副菜を食べ午後からの活力になった。

実身美で購入
豆乳マヨネーズ、米粉クッキー、玄米麺など全てが美味

関西在住の親戚も多い。甲子園球場の近くに住んでいた父方の大伯父が「鹿児島の野球チームは、甲子園でいつも負ける」と、嘆いていたそうだ。そう言えば、1ー0の接戦の末に1回戦敗退が多かったかも知れない。しかし、鹿児島実業の定岡正二投手の活躍の頃から変化が起きた。今年の8月17日で丁度50年になる熱い戦いを、テレビにかじりついて応援した少女時代の遠い記憶が蘇る。

        Wikipediaより

連日茹だるような猛暑で汗が流れ、水分補給を強いられた。コンビニにで買ったフランスのペットボトルの硬水を一口飲んで『これは好みじゃない、でも硬水はこんな物か』と思った。その時に、100ccの小瓶に少し入れて持参した塩を舐めると、魔法のように旨い水に変貌した。汗をかき、身体がミネラルを欲してバランスの良い味に感じたのかも知れない。
個人差があるのか、夫は塩を舐めても響かず、翌日「あのフランスの水はもう買わない」と言って国産の水を選んでいた。
関西は梅雨入りはまだのようで、持参した折りたたみ雨傘は出番がなく、代わりに麦藁帽子が大いに役立った。

大阪の通りすがりの人や関わりのあった人たちは、皆んな良い人で流石は人情の街だと思った。
15分遅れの17時30分に大阪伊丹空港を出発して、無事に19時30分頃に自宅に着いた。急遽決まった旅だったが、天気や人に恵まれ良き思い出になった。そして、何よりも旅行をプレゼントしてくれた子供たちに感謝した。

              完

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