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習わぬ政治を語る

片道6キロの田舎道を幼馴染み2、3人と自転車で中学校に通っていた。『車に気を付けっせえ行ったどー(行くんだぞ)2列に並んとあっねど(危ないぞ)』とよく父に言われていた。雨の日はカッパを着て自転車を漕いだ、カッパのズボンは、制服のひだスカートを気にしながら丁寧にはいていた。自転車置き場でそれを脱ぐ時のカサカサという音や全てが懐かしい。

ある晴れた日、中学生になりたての私は、校門まで続く20メートルくらいの登り坂を懸命に自転車を押した。登り切ると校門の先に広い校庭が広がり晴れ晴れとした。
暫くするとクラスメイトが『おはよう、当選確実』と笑顔で声をかけてきた。彼女は、垢抜けた可愛い人で目立つ存在だったが、まだ親しい中ではなかった。
丁度、市議選の真っ只中で選挙カーが走り、世間が騒がしい時期だった。父が初出馬していたので、どこからか噂を聞いていたのだろう。突然の選挙速報に面食らい、有難い朝の挨拶に嬉し恥ずかしの記憶が残っている。

我が家には来客が多く、父は市議になる以前から地元の世話役の如く東奔西走していた。小学校の頃、両親の留守中に町内のあるおじさんが尋ねて来られて、お茶を出そうか迷った。
結局、水を沢山入れたヤカンをガスコンロに乗せて『お湯がわく頃には、帰られるだろう』と思った。そして、その通りにお客様は帰って行かれた、子供の浅知恵が恥ずかしい限りだ。

その経験の後、夏の暑い日にまた別の小柄なおじさんが訪ねて来られた。その時は、汗が滲んだその方に冷えたカルピスを出した。すると一気に飲みほし「おおきに」と笑顔で帰って行かれた。
それから何年も経ったある日「娘さんがカルピスを飲ませてくれた」とその方が大変喜んでおられた、と母に聞き嬉しかった。ほんの小さな事でもこうして喜びの連鎖は生まれるのかと感じ入った。

私は、地元発展の為に懸命に動く父とそれを支える母の背中を見て育ち、政治が身近にあった。大東亜戦争を経験し、日本の復興を願い頑張って来られた先人の方々を思うと、今の日本が残念でならない。
子供の登校拒否の数も多すぎる、税金や社会保障費も上がる一方で言われるがままの一般国民は、政治がおかしいと気付かなければならない。
嗚呼、歯がゆい。

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