他人の始まり
母から「(娘が引っ越して)寂しいでしょう」と電話が来た。
たぶん母は私が引っ越したとき寂しかったんだろうと思い、そうだね、と答えた。
母には申し訳ないけど、私は母のそういう気持ちに共感が湧かない。
私は自分本位だし、結婚しても子どもが生まれても自分がしたいようにしてきて、母がいつも言うような「母親の苦労」をしていないので、母からの「あなたも私の気持ちがわかるでしょう」という同調の押し付けが苦手だ。
長年母との関係は悪くはなかったと思うが、コロナ禍で少しずつ変化した。
いや、母は変わっていない。
変わったのは私の気持ちだ。
コロナ禍が始まる直前、父が入院した。
ずっと調子が悪かったので、最後の入院かもしれなかった。
会いに行きたかったけど、直後に始まったコロナでそれは叶わなかった。
1回目の緊急事態宣言が解除されたタイミングで行けるかと思ったが、「来ないで」とはっきり言われた。
ま、それはしかたない。私も本気で行けるとは思わなかったし、田舎の空気的にも無理そうだったから。
そのあとすぐ父は亡くなった。
葬儀にも「来ないでほしい」と言われた。
これも、まぁ、しかたないと思った。
そのころの都会の人間は、地方に病原体を持ち込む迷惑な存在だった。
誰が悪いわけでもないし、飲み込むしかないことだった。
今思い返して、母への気持ちが変化した起点は、葬儀の直後に相続放棄を言い渡された時だった。
遺産がどのくらいあったのか知らないが、そもそも父の具合が悪くなる前から、親の財産はすべて妹に譲るつもりでいた。
親と同居して面倒を見てくれているのは妹だし、遠くにいる私には実際お金を渡す以外に何もできない。
だから、遺産は受け取るつもりはなかったのだが、そんな私の思いをまったく想像することもなく、葬儀後すぐ母から「相続放棄の書類を送るから印鑑押してすぐに返信して」と反論を許さない調子で言われた。こちらから何かを問う隙もなかった。
母にしてみれば、自分の面倒を見てくれるのは妹なのだから、少しでも多く妹に残したいと思ったのだろう。父がいなくなって心細いのだろうし、お金はできるだけ多い方がいいと考えたとしても当然だ。
でも、お願いベースでもなく、相談でもなく、「言い渡し」だったことにがっかりした。
ビリビリした音量で、まるで言い返されるのを恐れるように手続きについて一方的にまくしたてた。
みくびられたものだ。半分寄越せと私が言うとでも思ったのだろうか。
考えれば考えるほど腹が立ってきて、遺留分だけ要求しようかと思った。
思っただけで、そんなことはしなかった。
司法書士さんから書類が届き、必要事項を記入し押印し、送り返した。
書類が届いても、母からも、妹からも、何も言ってこないことにもがっかりした。
四十九日も新盆も納骨も、すべて事後報告だった。
「こちらでやっておくから。来てもらっても困るし」
どこかのタイミングでひっそり帰省することができないかと相談したが、病気を持ち込むばい菌扱いはずっと続いていて、遠回しでもなんでもなく「来ないで」と言われた。
その後も波のように繰り返す感染数の増加で、一周忌も、三回忌も帰省できなかった。
「都会の人は対策が緩いから怖い」
「だってそっちは増えているんでしょう?」
「まさか来るつもりじゃないでしょうね」
知識がいつまでもアップデートされないことはもう諦めた。
ただ、肉親の情、みたいなものを嘘でもいいから見せてほしかった。
コロナが5類になっても「PCR検査を受けてから来て」と言われて、それまでかろうじて繋いできた糸も完全に切れてしまった。
なんか、もう、いいや。
一生帰省しなくても。
それが今の正直な気持ち。
「今年は帰ってこれそう?」と母が聞く。
まだわからない、と答えた。
「そうね、忙しいだろうし、またコロナ増えてるみたいだし」
暗に「持ち込まれたくない」と言っていた。
休みが取れないわけではない。
全てはコロナのせいで仕方なかったことなのだ、と頭ではわかる。
グリーフのプロセスから取り残されて拗ねているだけかもしれない。
でも、いまはまだ何も水に流せない。
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