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正直な拍手

あるピアノ協奏曲のコンサートに行った。

一曲目、オーケストラの金管に厚みがあるのでピアノが埋もれてしまうことがあるのだけど、クライマックスでとうとうピアノがかき消されて、オーケストラの音しか聴こえなくなった。
盤上の熱演はまるでパントマイムのようで、ピアノの音は届いてこない。
オーケストラの気遣いが感じられず、少し独善的ですらあった。
そうこうしているうちに演奏が終わった。
最後はともかく、カデンツァは素晴らしいものだったし、私は精一杯の拍手を贈った。
でも、隣に座っていた人はだるそうにため息をついて、一切拍手をしなかった。
拍手しない人ってホントにいるんだ。
自分の耳と好みに自信があるんだな、と羨ましさ半分、驚き半分。
拍手しない人の隣で気まずくはあったけど、私は最後まで拍手をした。

次に、もう一人の演者のピアノ協奏曲が演奏され、こちらは文句なく素晴らしかった。
どこにも瑕疵がないばかりか、いままで聴いたことのない、意志的でいて柔らかい演奏で、すごいもの聴いちゃったな、と思いきり拍手をした。
すると、隣の人は私の3倍くらいの熱量で拍手をしていた。
前のめりになって、拍手と一緒に手まで飛ばしてしまいそうな勢いだった。

私は素晴らしい演奏とそうじゃない演奏の区別はあまりつかないし、いい音がたったの一つでもあれば、ありがとう、という気持ちで拍手する。
隣の人には自分の中に明確によい演奏と、たとえ儀礼的であっても拍手には値しない演奏の基準があり、素晴らしければ賛辞を惜しまない。
それを聞き分ける耳が羨ましくあるけど、そのとき、儀礼的な拍手をしない、というのはとても大事なことかもしれないと思った。

海外からの演奏家を特に過剰に有難がって、何でもブラボーとスタオベしてしまうけど、その演奏が本当に素晴らしかったのかどうか、きちんと意志表示をしたほうがよい。
それには、聴衆も自分の耳を育てて判断できなければならないし、簡単なことではない。
それに演奏の良しあしは好みの問題でもある。
曲をどのように解釈して演奏しても、受け入れられる人もいれば、気に食わない人もいる。
でも、隣の人が立ち上がって拍手していようが、自分が納得できなければすぐさま会場を後にすべきなんだろう。

仮にそこにいるのが何にでも拍手をしてしまう「チョロい」聴衆だったとしても、プロであるならその日の最高を届けるべきだし、大部分の演奏家は聴衆を舐めた演奏などしていないと思う。
そのうえで、やはり、ひどい演奏(というものがあるのだとしたら)にはBooと言う勇気を持つべきなんだろう。


年頭、あるコンサートに行った。
それは私が一番好きなバイオリン協奏曲で、これまでに何回も聴いたことのある、つまり私にとっては比較がしやすい曲だった。
その最終楽章、誰が弾いても速くなりがちではあるのだけど、その日の演者は爆速で、オーケストラはところどころ置いていかれていた。
祝祭的な音楽なので、多少気分が高揚するとしても、その音楽は高揚というよりハラハラして、全然落ち着いて聴くことができなかった。
チャリティーコンサートという演奏会の性格上、拍手をしない選択はなかったけど、いまだったらどうだろう。
あの演奏に拍手しただろうか。
自分は正直な聴衆になれただろうか。


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