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ひとの時間

先生の教えてくださったことがするする流れていって、私に何も定着しなかったら、それは先生の時間を無駄に使ったことになるのか。
今まで考えもしなかったし、そんなに深くとらわれているわけではないけど、無防備な心にすっと入ってきた考えがずっと居座り続けている。
ピアノは好きだし楽しいので、よっぽどのことがない限り辞めたりはしないし、先生もよっぽどのことがなければ断ることもないだろう。

先生が、レッスンの時間を無駄と思うかどうかは私の問題ではない。
そもそもそんなふうに考えることもおこがましい。

でも、心のどこかで、もしかしたらもっと別の人に、別のことに、もっと有意義なことに使える時間なのでは、と一度考え始めると止まらない。

そんな心配している間にもっと練習して、無駄な時間にならないようにするほうが健全で賢明だ。
わかってるよ、わかってる。

基本的にレッスンは楽しくやりたいけど、適当にやれればいいとは微塵も思わない。
うっすい伸び代であっても、上手くなっていきたい。
それなりに真面目にやっているつもりだ。

いくつかの体験レッスンで必ず言われたのが「ボケ防止にいいですね」「脳トレになりますね」だった。
そんなつもりは全くなかった。
ただ純粋に音楽に親しみ、この手で奏でたい。
そんな単純な動機が理解されないことに憤り、唖然とし、諦めかけた末にたどり着いた先生だし、真摯に応えていただいている。

私はとても真剣だ。
本気で取り組んでいる。
それでも、時間はそんなに割けないし、言われたことはすぐ忘れるし、レッスンは先生の多大な妥協の上に成り立っていることは理解している。

とはいえ、報酬と対価のやり取りだけで成立している時間ではない。
そういう世俗的な何かから離れたものを交換している、と私は思っている。
少なくとも、私は払った以上のものを受け取っている。

だからというわけではないが、先生がその時間に徒労感や報われなさのようなものを感じるのだとしたら申し訳ない。
いや、それさえも先生の問題で、私がどうこうできることではないし、できるとも思っていないけれど。

その時間がその人にとって無駄かどうかは、私の考えることではない。
でも、たまに、ひとの時間をいただいていることの意味を考える。


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