見出し画像

短いおはなし

リヒナーの「短いおはなし」という曲に取り組み始めて早2か月。
あと1,2回でOKいただけるかなーというところまできた。

練習曲だと、わたしのぶすくれ具合(この曲好きじゃないオーラをわりとわかりやすく出してしまう)で先生も大目に見てくださることもあるかもだけど、この曲は最初に「じっくりやりましょう」と宣言されて、実際に細かく教えていただいている。
どんなニュアンスで弾きたいのか。
そのためにどうすればいいのか。
こんなに短い曲なのに、きちんと「仕上げる」ということの大変さを身をもって感じる。

先日、頭が殴られるというと大げさだけど、慢心を諫められたようなことがあった。

この左手のドから

ここの左手の最後のドから、

この左手のソに続く

ここの最初のソに移る長~い跳躍がうまく飛べずにいつも止まってしまうので、止まらずに行ける速さで弾こうとした。
でも、その速さをモノにしていない上、迷いもあるのでテンポがブレブレになった。
先生も当然気づいて「テンポですけど…」と仰ったので、上のように説明したら、
「最初から弾ける速さで弾く、という指導もあるかもしれませんが、自分の中に絶対的なテンポがあるべきだと思います」
と仰った。

考えの甘さをズバッと指摘されて、頭を殴られた気がした。
音楽を技量に合わせるようなことをしてはいけない。
確たる音楽を自分の中に持ち、そこに技量を合わせていかなければいけない。

ハードルが高いと、弾けるテンポ、弾ける指使い、と易きに流れてしまうけど、そうじゃない。
テクニックのなさのせいで、あるべき音楽を曲げてはいけないんだ。

という当たり前のことに今更ながら気づいて、文字通り「ガーン」となったのだった。

その飛べなかった部分の練習にもいろいろ思うことがあった。
先生の「こういうふうに練習したらいいですよ」というのは、すでに自分が何回も試したことだった。
大体において、先生の教えてくださる方法は自分でも何回も試行していることが多い。
でも、同じやり方なのに先生に教えていただくとスムーズにいく。
キツネにつままれたみたいな気持ちだ。
毎回毎回「同じやり方なのに」と思う。
自分で練習しているときには何かが足りないのだ。
もしくは何かが間違っているのか。
その違いというか、自分が何を見落としていたのか気づけないと、上手くなりようがない気がする。
これはもう、最近いつもモヤモヤしている。

一つの曲をずっと練習していて、気づくこともあった。
上手く弾ける日と弾けない日がある。
お天気が悪い日は指が動かない。
そういうときは無理に新しいことを試したりしない。
昨日まで弾けたところが弾けなくなっていても、一喜一憂しない。
弾いているうちに、これまで気にしなかったような些細なことを大切に感じたりするし、逆もある。

何より、2か月前に比べると、すごく楽しく弾けるようになった。
短いおはなしだけど、語り口がどんどん変わっていって、ミニドラマのような曲だ。楽しい。

この曲が終わったら、同じリヒナーの「忘れな草」にいよいよチャレンジ。
少しずつ練習を始めた。
難しい、けど、楽しい。


読んでくださってありがとうございます。よろしければコメントもお気軽にお願いいたします。