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プロはパーツから語る「世界一細かい楽器紹介」トロンボーン編#3

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」


19世紀ドイツの哲学者ニーチェはその著書の中でこう語っている。
パーツを選ぶ楽しみをおぼえ、より自分のスタイルに合ったサウンドを求める欲望に身を任せているうちにその奥深さの虜になってしまう。そんな人もいる世界線の片鱗を味わってきました。
演奏会によく来る人も音楽はもっぱらCDで聴くという人も、オーケストラの中の楽器については知っているようで知らないことも。学校の授業で習うような普通の知識にちょっとプラスして楽器に詳しくなれるお助けになることを目指して『世界一細かい楽器紹介』シリーズ第3回です。

これまでの楽器紹介

新日本フィルハーモニー交響楽団(以下新日フィル)の演奏で使っている楽器を紹介しようと始まったこの企画ですが、まず初めに新日フィル・副首席トロンボーン奏者、山口尚人に話を聞いたところで出てきた『ここがネジなんだよ』という名言により波乱の幕開けとなったバルブセクションに注目した第1回目の記事がこちら。

トロンボーンという楽器の大きな特徴である、スライド機構に焦点を当て、素材にも注目した第2回の記事がこちら。

そしてこの第3回で楽器の中でも音を出す部分にして、響きのキャラクターを決めるのに大きな役割を果たしているベルに注目していこうと思います。
新日フィル首席トロンボーン奏者の古賀慎治によると「吹奏感はスライドで作り、響きはベルで作る」とのことでした。

古賀慎治所有のアルトトロボーン

近年日本のトロンボーン奏者の使用する楽器はエドワーズ社のものが増えています。その理由にはエドワーズのトロンボーンはカスタムの幅が広く、自分の好みの音をパーツのセッティングで作りやすいということが言えると思います。ちなみにベルだけでも300~400もの型番を用意していて、さまざまな音のキャラクターバリエーションを持てるようになっています。
今回ベルについて特集を組むにあたり、元兵庫県芸術センターオーケストラ・トロンボーン奏者で現在は都内で各オーケストラに客演し活躍している櫻井俊さんに協力していただき、いくつかのベルを使って音の種類を体験させてもらいました。

まずは今回ご協力いただく櫻井俊さんのご紹介


微笑む櫻井さん。手元にはエドワーズ350HB

メインのセッティングはデュアルボアのライトウェイトスライド、マウスパイプはT2A(いわゆる昔のアレッシパイプと呼ばれるもの)。バルブセクションは350HB。オープンラップデザインでB巻とF管を繋ぐハーモニックブリッジ(HB)というものがついています。チューニング管はノーマルのゴールドブラス製。
ベルは321CFB。イエローブラス素材で厚さは22ゲージで根元が広めのBタイプ。ベルのリム部分にはハンダは入っていません。
このセッティングの狙いとしては「息抜けの良さ」。マウスピースからベルの先端までで段階を踏んで太さが増していくことで息が上手に抜けていくようなセッティングになっています。

まずは321CFBから

350HBにセットされた321CFB


では321CFBというベルはどのような特徴を持っているのでしょうか。エドワーズのベル20から23ゲージに設定され(20が一番厚い)、このベルは22ゲージで中間的な厚さです。CFが表すのは熱処理をしているということ。そしてBの文字が表すのはベルのタイプ。エドワーズ社のベルにはBベルとCベルがあり、Bベルは管の根本が少し太め、広がりは少なめとなっています。一方のCタイプは根元が細め、広がりが大きめということです。それぞれ古くからトロンボーンを作っているBach社とConn社のベルにインスパイアを受け設計されています。そしてCタイプBタイプともにベルの伸びている部分と広がり部分の2箇所をつなぎ合わせているので2枚取りと呼ばれる製法になっています。

2枚どり部分。開きが大きくなるところにスジが見えます。

321CFBを選んだ櫻井さんは短い音でも太い音で吹きたいというセッティングを目指しているそうです。トロンボーン奏者にとっては当たり前のことでも、そうでない読者にとっては知らないことにどのようにベルを付け替えるのかというのがあります。ベルは根元でバルブセクションにはまっていますが、そこだけでベルの重さを支えることは出来ないので、2本の支柱でバルブセクションにねじ止めされ楽器の形になります。

ここからは各ベルで櫻井さんに音を出していただき筆者の率直な感想を書いていこうと思います。まずは321CFBを聞いてみましょう。

前述の通り息抜けの良さを目指したセッティングで奏でる音はまさにオーケストラで聞こえるトロンボーンのど真ん中のイメージ。点で押し出すのではなく、面で音を押し出したいという櫻井さんの狙いが見て取れる音色です。響きの芯部分とまわりの部分の割合でいくとややまわりの柔らかい部分の方が多いイメージでしょうか。
とは言え一つのベルの音を聞いただけでは、他のベルの響きは想像することは難しいので、ベルを取り替えて次の音を聞いてみようと思います。


同じスペックながら開き方の違う321CF

次に取り上げるのは321CFです。前述の通りBベルでないこちらは根元の広がりが抑えられ、ベル部分での広がりが多くなっています。チューニング管を片方軽く引き抜きベルの根元を自由な状態にしたらネジを外して次のベルを取り付けます。


左が321CFB、右が321CF

321CFは先ほどのCFBに比べると音の鋭さが少し増し、筆者の印象としてはソリスティックというか、「音が通る」イメージになりました。もちろんオーケストラの中で演奏していても違和感は無いのですが、押し出しの強いそのキャラクターはどちらかと言えば曲中にソロの出番がある人に向いている気がしました。さきほどの比喩を用いれば響きの芯の部分はCFBよりも多くなり、遠くへクリアに音が届きやすくなるイメージです。

余談ではありますが、櫻井さんの持っている321CFBベルのシリアル番号には*マークがついていて、それば購入当時の最新作製ロットの証であったそうです。
素材に関してはイエローブラスということで、金管楽器の中では一般的な素材となっています。
エドワーズ社のベルの型番号の法則性として、ゴールドブラスはイエローブラスに対して数字が1つ小さいそうで、同じ形で素材がゴールドブラスになると型番は320CFとなるようです。そしてレッドブラスになると319という数字が割り当てられるそうです。
素材の話は第2回のスライドの回でも紹介しましたが、真鍮の名前が変わると一般的に銅の配合が変わっています。具体的にはイエローブラスが銅:亜鉛(70:30)なのに対してゴールドブラスは銅:亜鉛(85:15)となっているようです。そしてレッドブラスは銅:亜鉛(90:10)となり銅の配合量が増えることで素材としては柔らかく、重くなります。

閑話休題。3本目のベルに移ります。


Bach社製ベル・エドワーズフィッティングカスタム

バック社製。ストラディバリの彫り込みが目を惹きます

みたびイエローブラスのベルですが、こちらはエドワーズ社純正ではなく古いバック社のベルを改造したもの。コーポレーションモデルと呼ばれるベルです。元々の楽器についていたシリアルナンバーから推察するにバック社がニューヨクからエルクハートへと工場を移して10年程度の1970年代後期に作られた楽器ではないかということです。
その他、先ほどのエドワーズ社純正のベルと比べて広がり部分まで含めた一枚の素材で出来ている一枚取りと呼ばれる製法なのが特徴的です。

ではこのベルで音を聞いてみましょう。
音の傾向はエドワーズ社のBベルに似ているものの、音が飛んできた時の形に丸みを感じます。多少ですが下側の倍音が豊かに響いている感じも聞き取れます。一枚取り製法の影響でベル端の板圧が薄くなり、さらに周囲にはハンダが入れ込んであることが製法の特徴だと思うのですが、そういったバランスの上にこの音色が成り立っているのだと想像しました。
ちなみにですが、このベルのリム部分にはハンダは入っているもののスチールワイヤーは入っていないそうですが、年代、モデルによってはスチールワイヤーを巻き込んだものもあるそうです。

エドワーズ・オフトモデル

櫻井さんのコレクションから最後にオフトモデルです。


オフトモデル。微妙に色合いが違います。


メーカーはエドワーズ社。品番は特になく、オフトモデルとしか書いてありません。ボストン交響楽でトロンボーンを演奏するトビー・オフトさんのシグニチャーモデルとなっています。素材は今までのイエローブラスより銅の配合が多いゴールドブラス。細かなスペックはシグニチャーモデルということで公にはなっていないそうですが、触った感じから明らかにゲージの設定は薄め。おそらく23ではないかとの櫻井さんの見立てです。ベルの仕立ては2枚取り。ハンダは入っていません。櫻井さんのもつこのベルの音色の印象はゴールドブラスの持つ温かな音色なものの、薄さからくるレスポンスの良さを生かした明るめな音も出しやすいモデルとのこと。トビー・オフトさんも櫻井さん同様にHB(ハーモニックブリッジ)付きのオープンラップ仕様のアキシャルフローバルブの楽器を使っているそうです。相違点としては、チューニング管がイエローブラス、支柱が細いステンレス仕様になっているそうです。

それではオフトモデルの音を聞いてみましょう。
まず初めの音の立ち上がりの印象は飛んでくる音の断面積が大きいというか、広めの音が前に飛んでくるという気がしました。その上で、呼吸を早くしたらレスポンスがあがり鋭さを持った音を出すこともできます。321CFBで表現した響きの芯とまわりの部分の割合は321CFBに近しいものを感じるものの総面積は広がっている印象です。
初めに321CFBで感じたオーケストラの音ど真ん中という印象はこちらの方に更新されました。

ここまでの総括として、初めの新日本フィル古賀慎治の言葉に立ち返りたいと思います。
「吹奏感はスライドで作り、響きはベルで作る」
321CFと321CFBは同じようなスペックで作られているものの、サウンド感にはそれぞれ個性があり、トロンボーン素人の筆者からすると口からマウスピースに空気を入れる時のレスポンスにも差が出てくると想像していました。櫻井さんに確認したところ、吹奏感に関してはそれほど違いを意識して演奏することはなく、むしろホールなどで演奏した時に返ってくる音の方が情報量としては多いとのことでした。
吹奏感の肝となるマウスピースや、マウスパイプの楽器紹介に突入したいところですが、まだご紹介していないベルがあります。
情報量もいっぱいになってきたところで次回『世界一細かい楽器紹介トロンボーン編第3回後編』に持ち越したいと思います。

今回紹介した321CFと321CFBを紹介している楽器店のリンクを付録的に最後に掲載したいと思います。
オランダにあるアダムズという楽器店のホームページにてエドワーズ社のベルを網羅的に見ることができるのでその中から2モデルです。

321CFBはこちら
(https://www.adams-music.com/en/trombone/edwards/tenor-trombone-bells-edwards/edwards_321cfb)
そして321CFがこちら
(https://www.adams-music.com/en/trombone/edwards/tenor-trombone-bells-edwards/edwards_321cf)

皆様からのご意見ご感想おまちしております。


(文・写真:城 満太郎)

城 満太郎 (じょう まんたろう)

千葉県出身。東京藝術大学音楽学部を卒業後渡独。ベルリン・ハンスアイスラー音楽大学卒業、ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団より奨学金を受け同オーケストラアカデミーにて研鑽を積む。吉田秀、永島義男、エスコ・ライネ、マティアス・ウェーバー、スラヴォミル・グレンダの各氏に師事。
2011年入団。現在新日本フィル コントラバス・フォアシュピーラー。

Twitter:@JMantaro
Instagram:@MANTAROJO

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