「動機」を探せ!・・・メンデルスゾーンの交響曲第2番「讃歌」の取調室
「犯行の動機は!?」と薄暗い取調室で若い刑事が容疑者に、その犯行動機を聞き出そうとする。容疑者は無言のまま口を開かない。その威勢の良い若い刑事の後方で、これまでずっとその様子を見守っていたベテラン刑事が取調室の机の方に歩みより、優しく穏やかに語りかける。「まぁ、腹も減っただろうからカツ丼でも食べて少し落ち着こうか・・・お前、東北の出身みたいだな・・・田舎でお前の母さんが1人で、お前のことを心配して泣いているぞ・・・」すると突然容疑者は肩を震わせながら涙を流し、犯行の動機や事件の一部始終を供述するのであった・・・。
このような場面はよく昭和の刑事ドラマに登場する典型的な情景描写だが、実際に「カツ丼食うか?」や「田舎の母さんが泣いてるぞ」などという場面があったかどうか、記憶は薄くなっている。実はそのような場面はなかったのかもしれない。なんとなく藤田まこと演ずる安浦刑事や、露口茂演ずる山さんが言いそうなセリフだから、いつの間にかそのような場面やセリフが一人歩きしていったのかもしれない。
先ほどの小説風な引用に出てきた「動機」が今回のコラムで重要なテーマとなる。まずは動機について辞書はどのように説明しているかを見てみよう。
先ほどの小説では1の意味で使われていたが、さまざまな意味があることがわかる。
今回のテーマは、その「動機」の意味の中では2番目の意味にあたる。実はオーケストラの作品だけでなく、多くの音楽作品において「動機」はなくてはならないものなのだ。そして、その動機を追うことで作品の鑑賞の仕方が大きく変わるのである。
数多くある、特にロマン派までのオーケストラ作品が「動機」をもとに作品を構築している。そのことを説明するのによく登場するのがベートーヴェンの交響曲第5番、いわゆる「運命」なのだが、それだと他の何かと一緒で面白みがない。そこで今回は第649回定期演奏会で演奏されるメンデルスゾーンの交響曲第2番「讃歌」を例に取り上げ、「動機」という一隅を照らしていきたい。
ではこの作品の「動機」をご覧いただきたい。冒頭に登場するトロンボーンがこの作品の最大の「動機」だ。
曲の構成は大きくは第1部「シンフォニア」と、第2部「カンタータ楽章」に分かれ、第1部は3つの楽章、第2部は10曲のカンタータ楽章で構成されている。
「ファ〜ソ〜ファシシシ〜ド〜ミ〜レレ〜」という、少々コミカルにも聞こえるテーマがこの作品の「モチーフ」=「動機」なのである。この動機を追い、探すことでこの作品を飽きずに聴くことができるのだ。某イタリア料理系ファミリーレストランにある間違い探しよりは簡単なので、気楽に探していただきたい。
トロンボーンが動機を演奏してすぐに、ほぼすべての楽器が動機を演奏する。まるでロック会場の「コール&レスポンス」のごとき光景だ。僕はここに若干の高揚感を感じる。「ほぼ全て」と言ったが、トロンボーンの動機に応答しない楽器が2パートある・・・それは「オーケストラ中の王」とも言われるティンパニと「オーケストラの中のスター」であるトランペット。この2パートがトロンボーンの呼びかけに応えないところは、どこか意味深だが・・・そこまでメンデルスゾーンは深く考えてはいないだろう。
その後「動機」が少し変形して登場する。「動機の変形」も作曲においては重要な作法のひとつである。その後再び動機の断片が登場しそれが「コール&レスポンス」される。この時に「スタートの音」が違うのだが、このような「スタート音は違うが動機と同じリズム」で作られる音楽を「セグヴェンツ」といい、作曲をする上で重要な方法なのだ。カフェや居酒屋で友人たちと音楽談義になった際は是非「セグヴェンツ」をさりげなく使っていただきたい。しかしこの言葉はハイレベルな音楽用語でもあるので、使い方を誤まるとドン引きされてしまうかもしれない。注意して使用してほしい。
音楽はその後テンポの速い部分になる。「動機」を聴くこともできなくなるのだが、その先、動機が再び登場してくるので聴き逃さないようにしてほしい。再びトロンボーンが動機を演奏し、曲は「第2主題」へと入っていく。第2主題は一転して優美で流れるような音楽、いかにもメンデルスゾーン風の音楽になるが、その中でもたまに「動機」の断片を聴くことができる。その後はしばらく「動機」のようなものが聴こえなくなるが・・・忘れた頃にまた「動機」の断片・・・言い換えると動機の前半部分が聴こえてくる。聴こえてきたと思ったら、それが色々な楽器に登場する。「俺を忘れちゃいけないヨ!」と言っているようだ。そしてまた、トロンボーンが「動機」の完全形を高らかに奏し、クラリネットが憂いを持った静かな音楽を奏でると、曲は第2楽章へ・・・。
第2楽章は優雅なワルツを思わせる音楽だ。曲が進むと突然コラール(プロテスタントの讃美歌)が登場する。そのコラール風旋律とともに、木管楽器で「動機」の断片、ここでは動機の後半部分が登場する。またも動機は「忘れた頃」にやってくる。そしてまた優雅な音楽が全体を支配する。
3楽章、これもまた優美さと高貴さに満ちた楽曲で、メンデルスゾーンの真骨頂といった感じの曲だ。特に弦楽器のアンサンブルや木管楽器の音色を楽しめる。曲中に、あの「動機」を匂わせるものはない。だが、曲の最後のクラリネットの動きを耳を澄まして聞いてほしい。そこには「動機」の断片、動機の後半部分が静かに登場する。これは例のイタリアンファミレスの間違い探し級のハイレベルさだ。たが、この密やかなる動機を、管弦楽だけで演奏する「シンフォニア」の最後に配置することで全体の形式と動機を有機的に結びつけられる。
そして歌唱付きの「カンタータ楽章」が始まる。前進するような弦のパッセージに乗ってトロンボーンが「動機」を演奏する。「やはりこの作品にはオレだぜ!」と言わんとしているようだ。そして音楽は徐々に盛り上がり・・・いよいよ合唱が加わる。しばらくすると合唱で例の動機が登場する。歌詞は概ねこのような感じだ。
それが最初は男声合唱で歌われて、その後フーガといって男声パート、女声パートで追いかけっこしながら畳み掛けるように歌われる部分になる。こうなってくるとちょっとした「サブリミナル効果」みたいに、この動機が心の深層に記憶されていくようだ。そしてまた動機の事を忘れかけたところで再び登場する・・・そう、いつでも動機はあなたのそばを離れない。とはいえ、その後はソプラノやテノールのソロ(ここからは次の曲になる)など新しい聴きどころも登場するあたり、メンデルスゾーンの構成の上手さが光る。
テノールのソロが終わるとまた次の曲になる。この部分は「合唱」の醍醐味を存分に味わってほしい。ちょっと仄暗い「センチメンタルさ」を感じる音楽も「メンデルスゾーン節」といえる。
その後、ホルンの崇高かつ美しいソロに導かれ、ソプラノ独唱が始まるとまた次の曲になる。この曲の聴きどころは、何といっても「ソプラノの二重唱」だ。1人でも贅沢な時間を過ごせるのに、2人とは・・・まるでラーメン屋の「全部のせ」並みの豪華さ、それに合唱やホルンのソロ、オーケストラが加わるのだから、ライス無料・・・いやチャーハン無料、替え玉無料、次回ラーメン無料券までもらえるくらいの豪華さを堪能してほしい。
テノール独唱が始まるところで次の曲に移る。シューベルトやシューマンの歌曲(リート)を思い起こさせるような音楽が胸を打つ。優しさだけでない「喜怒哀楽」のある音楽をここでは味わってほしい。後半はソプラノのソロも絡み、まるでオペラのような音楽が展開される。この作品を改めて聴いてみると「一粒で二度美味しい」どころの話でないくらいに聴きどころ満載だ。ソプラノが高らかに歌い上げると、曲は雰囲気を変え次の曲へと移る。
次の曲はゆったり歌うというよりは、元気のある堂々とした音楽。主役は合唱だが、オーケストラの響きも豊かだ。それにパイプオルガンも加わりまるでフィナーレのごとき雰囲気を演出するが、この曲が終わりではない。例えるならば「紅白歌合戦」の前半のフィナーレ、5分間のニュースに入る直前の感じと言ったらイメージが湧くだろうか・・・?
次の曲は決して「ニュース」のような曲でもなければ、箸休めのような曲でもない。この曲もまた、重要な意味を持っている。
この曲は「コラール」といって、プロテスタントの讃美歌だ。
プロテスタントとはローマ・カトリック教会から分裂したキリスト教の宗派で、「宗教改革」や「マルティン・ルター」というワードを世界史などで学んだ人は多いだろう。そのこととこの作品は密接な関係があるのだ。
この曲が初演されたのはドイツの都市ライプチヒ。ライプチヒはその「宗教改革」の発端となった「ライプチヒ討論」と言われる討論会が開かれた場所なのである。つまり「宗教改革」や「プロテスタント」、「ルター」と密接な関わりがある都市なのだ。この作品の後半のカンタータ楽章ではルターが完成させた旧約聖書のドイツ語版の言葉を採用している。
またこの作品は1846年に開催されたグーテンベルクの活版印刷技術完成400年記念祭のためにライプチヒ市から委嘱された2作品のうちのひとつ。なぜそれがルターや宗教改革と関係あるのかと言えば、活版印刷のお陰でドイツ語版の聖書をたくさん印刷する事ができ、プロテスタントの布教に大いに役立ったという歴史的な功績があるのだ。
話はそれでは終わらない。この作品はメンデルスゾーンの指揮によりライプチヒの聖トーマス教会で初演された。この教会はあのヨハン・セバスチャン・バッハが楽長(カントル)を務めたことで知られる教会。バッハは死後、決して多く演奏され、多くの人に知られていたかと言えばそうではなかった。そのバッハの「マタイ受難曲」を蘇演させ、バッハ再発見を後押ししたのがメンデルスゾーンなのである。そしてバッハは生前、多くの「コラール」を教会のために作曲している。
ルターxグーテンベルクxバッハxメンデルスゾーン・・・この曲は日本ではあまり演奏される機会の多くない曲だが、こんなにも歴史的偉人の功績の上に立つ曲はあまりないのではないか、と個人的には思っている。
この部分のコラールは、日本では「いざやともに」として知られる、ルター派の讃美歌が引用されている。この曲は有名な讃美歌なので知っている人もいるだろう。日本語の歌詞は次のようなものだ。
このコラールに心洗われたところで、次の曲はテノール独唱から始まる伸びやかな曲想が印象的な曲。その後ソプラノ独唱がそれを受け継ぎ、その後テノールとソプラノの二重唱となる。この部分では合唱はそれに参加しないので、歌手の歌声や表現力(表情など)を楽しんでほしい。曲が静かに終わるや否や「ト短調」というドラマティックな調性の和音が強い音で演奏され次の曲となる。ここは合唱メインの曲になる。テンポが変わり、合唱が歌う歌詞は、カンタータ楽章の1曲目に登場した「動機」で歌われる歌詞「Alles, was Odem hat, lobe den Herrn.(息あるすべてのものは主をほめたたえる)」なのである。旋律こそ違うが、ここにも「動機」は絡んでくる。
そして大きく盛り上がってきたところで・・・
再びトロンボーンにより「動機」が高らかに鳴り響く。トロンボーンという楽器は「神の声」を表す楽器とされる。したがってこれまで、少しコミカルに思える「動機」をトロンボーンが演奏していたのには「明確な理由」があったのだ。「ちょっと面白い感じだから、トロンボーンがいいな・・・あの人たちいつも面白いし!」とメンデルスゾーンが考えてトロンボーンに吹かせたのではなく「神の声」としてのトロンボーンなのである。そしてその動機を合唱が高らかに歌い上げ、大団円となる。
その歌詞も「Alles, was Odem hat, lobe den Herrn.(息あるすべてのものは主をほめたたえる)」だ。
「動機は?」と聞かれたら「トロンボーンが演奏するアレです!」と答えよう。そして「作曲の動機は?」とメンデルスゾーンが聞かれたとしたら・・・「ルターであり、グーテンベルクであり、バッハであり、ライプチヒであり、そして私の心に従ったのだ」と言うに違いない。
「動機」を知ること、「動機」を探すことで長大な作品もまた新しい聴き方で楽しめるのではないかと僕は思っている。
それにしてもこの曲の動機、一度聴いたら忘れられない。というか耳に残る旋律だ。僕もこのコラムを書きながら、何十回と鼻歌で「ファ〜ソ〜ファシシシ〜ド〜ミ〜レレ〜」と気持ちよく歌っていた。そのうち、適当な歌詞を付けようかと思い始めて浮かんだのは・・・
「新日フィルを、聴きましょう♪」
さぁ、会場でみなさんもトロンボーンの動機に合わせて、心の中でそう歌ってみませんか?
(文・岡田友弘)
演奏会情報
第649回 定期演奏会〈トリフォニー・シリーズ〉
2023年5月13日(土)14:00開演
会場・すみだトリフォニーホール
第649回 定期演奏会〈サントリー・シリーズ〉
2023年5月15日(月)19:00開演
会場・サントリーホール
疾走感あふれるリズム!繊細・緻密なテクニック!俊才ダーレネのシベリウス。豊かな表現&神秘的な物語が織り込まれた傑作「讃歌」
【出演】
指揮:沼尻竜典
ヴァイオリン:ユーハン・ダーレネ
ソプラノ:砂川涼子
メゾ・ソプラノ:山際 きみ佳
テノール:清水 徹太郎
合唱:栗友会合唱団 & 新国立劇場合唱団
合唱指揮:冨平 恭平
【曲目】
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op. 47
メンデルスゾーン:交響曲第2番 変ロ長調 op. 52「讃歌」
チケット、詳細は新日本フィルWEBサイトへ!
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