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ブルックナーの金字塔的作品〜交響曲第8番(前編)

新日本フィルnoteではダントツの情報量「岡田友弘《オトの楽園》」。指揮者の岡田友弘が新日本フィルの定期に絡めたり絡めなかったりしながら「広く浅い内容・読み応えだけを追求」をモットーにお送りしております。今回は「特別演奏会」で上岡敏之マエストロとの名演の記憶も新しい、作曲家ブルックナーの最高傑作の一つ「交響曲第8番」についての前編です。作曲や初演の経緯や、ブルックナーにまつわる人物とのエピソードなどを綴ります。

「交響的大蛇」・・・このようにブルックナーを評し呼んでいた人物がいる。それはヨハネス・ブラームスだ。ブルックナーとブラームスは相反する存在として他人も自分たちも認識されていたことは嘘ではない。

ブラームス
ヨハン・シュトラウス(子)

ブルックナーも「ブラームスのすべての交響曲より一曲のヨハン・シュトラウスのワルツが好きだ」とかブラームスに対して否定的な感情を表明していたという記録もある。あらぬ火の粉を浴びてしまったシュトラウスだが、ブラームスと親交があり、さらに2人の墓は隣同士である。そして同時にブルックナーの音楽を賞賛していた。一般的に言われているほど当時の音楽界は真っ二つだったわけではない。個人的には当時影響力を持っていた音楽評論家ハンスリックの個人的趣向や恩讐に振り回されていたような気もする。

ハンスリック

「彼はブラームスである。全く尊敬する。私はブルックナーであり、自分のものが好きだ」

このように言ったブルックナーだが、ブラームスのことは「気になるアイツ」だったようで、それはブラームスを同様だった。温かい親交はなかったが一緒に食事をすることもあった。ブラームスの顔馴染みの食堂がウィーンにあった。「赤い針ねずみ」という名前の店で、ウィーンの音楽人が集う場所でもあった。

その店で二人は食事を共にすることになった。ブルックナーが先に到着しブラームスがその後で到着。長いテーブルに2人は向かいあって座るもお互い無言…沈黙の時間が気まずさを増大させただろう。その沈黙を破りブラームスは食事を注文するため口を開く。「団子添え燻製豚」と。そしてその後に「これが私の大好物だ」と続けた。それに対してブルックナーは「ほら!先生!コレがワシらの一致点ですわ!」と応じ、場が笑いとともに和んだという。


オットー・ベーラーの影絵画「ブラームスとブルックナー」

残念ながら結局2人は打ち解けることはなかったそうである。ロックバンドの解散の時によく言われる「音楽性の不一致」なのか、離婚などの際に言われるような「性格の不一致」かは分からない。僕から見たら2人とも似たような性格のようにも見えるから、もしかしたら「同族嫌悪」だったのかもしれない。

ブルックナーの葬儀が行われた、ウィーンのカールス教会

反面、ブラームスは自分が断った仕事をブルックナーに回したりしている。またブルックナーの死に際して、自分の家の前のカールス教会でブルックナーの葬儀が行われているのを遠巻きに眺めていたらしい。それを見た教会関係者が中に入るよう促したところ、「次は私が棺に入る番だ」と吐き捨て一旦その場を離れるが、また戻ってきた。そして柱の影で泣いていたのを目撃されたという記録がある。ブラームスの予言通り、ブルックナーの死の約半年後、ブラームスは世を去った。2人は同時代を生きた「巨人」であったのだ。

ブルックナー(皇帝から貰った勲章を胸に付けている)

そんなブラームスが賞賛したブルックナーの作品がある。それが「交響曲第8番」だ。

この作品はブルックナーの生前に初演された最後の交響曲であり、「正直なハンス」こと、ハンス・リヒター指揮のウィーンフィルで初演、成功を収めた。この作品を書いた時期、ブルックナーはやっと認められて、大学や音楽院で教職についたり、年金をもらえるようになったり、皇帝から勲章をもらったりと「リア充」な時期だった。その割に作品に「暗さ」があるのはブルックナーの性格が出ていると言えるだろう。なんとなく自分もブルックナー的な性格があるので親近感を感じずにはいられない。とはいえこの大成功作品は当時のオーストリア=ハンガリー帝国、神聖ローマ帝国皇帝に献呈された。

「交響曲第8番」を献呈された皇帝フランツ・ヨーゼフ一世


フェリックス・ワインガルトナー

この曲も、他のブルックナー作品同様に初演までの道のりは決して楽ではなかった。

ブルックナーがオーストリアの地方都市リンツ郊外の聖フローリアンでこの曲を作曲し、ウィーンにいるブルックナー支持者のひとりである人物に楽譜を送った。ブルックナー的には自信作だったようだが、その人物の評価は芳しくなくブルックナーはガッカリしてしまい、せっかく意欲満々なメンタルだったものが、死をも考えるくらいに落ち込んだようだ。その理由のひとつが「長すぎる」…ブルックナーの交響曲にありがちなものだ。なんとか立ち直り改訂したブルックナー、ウィーンでの初演ではなく他の土地での初演と楽譜出版を目論んでいた。理由はウィーンの出版社の「金払いの悪さ」だったらしい。そんなことで、ドイツのマンハイムの楽団の若き指揮者フェリックス・ワインガルトナーに初演の打診をするが、その返事が全然返って来なかった。多分ワインガルトナーは「面倒くさい」と思ったのだろう。当時のブルックナーの「立ち位置」みたいなものも窺える。それでもしつこく手紙を送り、いよいよ初演!という段になって、ワインガルトナーはベルリンに「電撃移籍」したため、それも実現しなかった。ワインガルトナーはその時はちゃんとブルックナーに手紙を書いている。

「先生の事は尊敬しているし、作品も素晴らしい!しかしウチのオケは何より先生の作品をやるには人数が少ないです。そして何より急な移籍が決まってしまったので…。これは私がどうこうという理由ではなく、移籍に関係の諸事情で私は悪くないんです!そのかわりベルリンでは先生の作品をたくさんやって広めますんで!ひとつよろしく!」(筆者意訳)

何て失礼な奴だ!ワインガルトナーは僕の尊敬する指揮者だが、コレはないだろう。しかもベルリンでブルックナーの作品を「たくさん」やった記録もない。気の毒なブルックナー…そして結局、初演も出版もウィーンでということになった。

ハンス・リヒター

ブルックナーの交響曲には「改訂」や「複数の稿」の問題がついて回る。「良心に従い」「納得するまで」改訂した、という肯定的な見方もあるが、「長い!」とか「あまり良くないね!」という他人からの評価がその理由だったりする。ブルックナーは優柔不断で「繊細さん(HSP)」なところがあり、気持ちの浮き沈みも結構あったようだ。ブルックナーの作曲家としての人生は「創作と改訂」の人生だったともいえる。その上、改訂してもなお「長い」という理由から、弟子のレーヴィやシャルクが「改訂」し演奏された。「改訂」と言えば耳障りが良いが、ある意味では楽曲を切り刻むような「カット版」と言ったほうが良いかもしれない。

ヨーゼフ・シャルク

「交響曲第8番」もそのような「カット版」で初演された。この作品には「第1稿」「第2稿」「最終稿(シャルク改訂版)」、第2稿をもとにした「ハース版」「ノヴァーク版」(第2稿ベースのものと第1稿をベースにしたもの)という複数の版がある。第1稿はあまり演奏されることはなく、最終稿は「シャルク改竄版」とか「シャルク改悪版」などと言われることもあり、現在ではほぼ演奏されない。

このような紆余曲折がある「交響曲第8番」、クラシックファン的にいうと「ブル8」だが、ブルックナー自信は気に入っていたようだ。「私の音楽のなかで最も美しい」と言っていた。特に第3楽章のアダージョというゆっくりした楽章は、息の長いフレーズと神々しさを感じる曲想、美しさあふれる音楽であり、僕はこのアダージョが1番の「聴きどころ」であると思う。交響曲全体で約80分という長大さのなかで、このアダージョは約30分弱…悠久の時を感じながら1音1音を慈しむように聴いていただきたい。

そんな「長大」な傑作、ブルックナーの交響曲第8番のより詳細な「オトの楽園的聴きどころ」については、次回の「オトの楽園」で…。(続く)

(文・岡田友弘)


演奏会情報

【謹告】下記演奏会は、指揮を務める予定であった、NJP首席チェロ奏者桑田歩氏のご逝去に伴い、公演が中止となりました。生前の素晴らしい音楽活動に敬意を表し、そのご冥福をお祈りいたします。公演中止に伴う詳細は新日本フィル公式ウェブサイトにてご確認ください。

歩夢ドリームオーケストラ Vol.2

2023年4月27日(木)15:00開演(14:15開場)

すみだトリフォニーホール 大ホール

管弦楽 新日本フィルハーモニー交響楽団
指揮 桑田歩(新日本フィル首席チェロ奏者)

お知らせ

開演時間につきまして
3/1発送のダイレクトメール、3/3配信のメールマガジンで開演、開場時間の記載に誤りがございました。

【誤】14:00開演(13:15開場)
【正】15:00開演(14:15開場)

訂正し、お詫び申し上げます。


新日本フィル首席チェロ奏者桑田歩がお贈りする特別な演奏会です。
2023年1月、「再臨『桑田歩の英雄』」で会場を感動の渦に巻き込んだ歩夢ドリームオーケストラ。
ついに新日本フィルとの共演を果たします。


プログラム

ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調 WAB 108(ハース版)

その他情報は新日本フィルホームページで!

執筆者プロフィール

岡田友弘

1974年秋田県由利本荘市出身。秋田県立本荘高等学校卒業後、中央大学文学部文学科ドイツ文学専攻入学。その後色々あって(留年とか・・・)桐朋学園大学において指揮を学び、渡欧。キジアーナ音楽院(イタリア)を研鑽の拠点とし、ヨーロッパ各地で研鑚を積む。これまでに、セントラル愛知交響楽団などをはじめ、各地の主要オーケストラと共演するほか、小学生からシルバー団体まで幅広く、全国各地のアマテュア・オーケストラや吹奏楽団の指導にも尽力。また、児童のための音楽イヴェントにも積極的に関わった。指揮者としてのレパートリーは古典から現代音楽まで多岐にわたり、ドイツ・オーストリア系の作曲家の管弦楽作品を主軸とし、ロシア音楽、北欧音楽の演奏にも定評がある。また近年では、イギリス音楽やフランス音楽、エストニア音楽などにもフォーカスを当て、研究を深めている。また、各ジャンルのソリストとの共演においても、その温かくユーモア溢れる人柄と音楽性によって多くの信頼を集めている。演奏会での軽妙なトークは特に中高年のファン層に人気があり、それを目的で演奏会に足を運ぶファンも多くいるとのこと。最近はクラシック音楽や指揮に関する執筆や、指揮法教室の主宰としての活動も開始した。英国レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ・ソサエティ会員。マルコム・アーノルドソサエティ会員。現在、吹奏楽・ブラスバンド・管打楽器の総合情報ウェブメディア ''Wind Band Press" にて、高校・大学で学生指揮をすることになってしまったビギナーズのための誌上レッス&講義コラム「スーパー学指揮への道」も連載中。また5月より新日フィル定期演奏会の直前に開催される「オンラインレクチャー」のナビゲーターも努めるなど活動の幅を広げている。それらの活動に加え、指揮法や音楽理論、楽典などのレッスンを初心者から上級者まで、生徒のレベルや希望に合わせておこない、全国各地から受講生が集まっている。

岡田友弘・公式ホームページ

Twitter=@okajan2018new

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