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(9/100)科学の力か?尊厳か?『欧米に寝たきり老人はいない』

今年9冊目は終末期医療の話。

終末期医療の違い

老い、それも終末期のステージを迎えるということは、カラダのあらゆる機能が低下していくことであり、それはあがなえないもの。飲み込みも悪いし、食べること自体への意欲が落ちている。

日本の場合
そのステージで日本では、胃ろうを造設し、経管栄養や中心静脈栄養を行う。痰が詰まらないように器官が切開される。気管チューブからの痰の吸引は苦しい。点滴を拒否すると、機器をはずさないように両手をベッドに縛られてしまう。床ずれがひどくなり褥瘡ができる。。。

欧米の場合
翻って欧米では、経管栄養や中心静脈栄養などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的と国民が認識している、老人虐待だと考えている、とこの本では主張しています。

食欲がなくなったからといって点滴はしない。肺炎のときには抗生剤の駐車ではなく内服薬の投与のみ。終末期のステージで、その人の自然体の死に方に無理な力を加えないということのようです。

なぜ日本は無理して延命させるのか

戦前までの日本では、老人は自宅で亡くなる方も多かったようです。食欲がなくなって食べ物も口に入らないような終末期、りんごを絞った果汁を綿に含ませ、口を湿らせる程度の措置しかなく、家族に見守られながら亡くなっていったものです。

しかし現在はそうはいかない。最近では本人が医療に対する意思を書いたリビングウィルを作ることも増えているが、なかなかそのとおりの医療は行われません。それはなぜか?

本書ではその理由は5つある、としています。

①医学界にある延命至上主義
②リビングウィルが作成されてなく医者の言いなりになる
③中心静脈栄養や人工呼吸装置は診療報酬が高い
④遺族から「延命措置を怠った」と言われたくない
⑤高齢者の人権という概念がない

ではどうしたら希望する死に方ができるのか?

実はこの本には、リビングウィルを作る以外に具体的には書かれていないからです。リビングウィルを尊重した医療をしてくれる病院はまだまだ少ないです。死にたいように死ねない、というのはどこか不幸ですね。

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