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東浩紀『一般意志2.0』を読む

このところ、国会で議論が始まるたびに政府や与党のアラ探しばかり。消費税は上がる、人口は減少する、景気はイマイチ。国民の不満は募る一方だが、国会で国を良くする話はされているのか、さっぱりわからない。

政治なんて面白くない。そりゃそのはずだ。

世の中は複雑になりすぎた。個々人の満足は至る方向にあり、今の政治体制では国民の満足を満たす制作は出てこない。

ルソーの『社会契約論』が今こそ、現代の行き詰まった政治を打破するきっかけとなるのではないか?これが本書の大前提だ。

現代の政治は、熟議を前提としている。議会という公の場所で議論を尽くし、政策を決定する。その政策こそが国民を幸せにするはずだ。しかし著者の東浩紀のルソー解釈はこうだ。

「一般意志は単なる合意ではなく、人民人身のベクトルを集合した無意識の意志だ」

無意識の意志とは、個々人の向いているベクトルの総和、といえばわかりやすいだろうか。かなり数値的なイメージだ。その数値的なベクトルの和を参考にしながらすすめる政治こそが、一般意志2.0の原点だ。

現代の若者の投票率が低い。政治に対して信頼をしていない。しかし生活は苦しい。社会は生きづらい。自分たちの状況を政治はわかっていない。その声にならない声はどこにあるのか?東浩紀はそれはネットにあるとする。ネトウヨ、炎上などの言葉にあるように、ネットでの自己主張は実に活発だ。そしてその声を引き上げるためのツールとしてSNSが機能している。

たとえば日韓関係をどうしたいか?国民一人ひとりの思いは違う。しかし今後その思いは、ネットを通じてベクトルの総和が具体的に可視化できるようになるはずだと著者は言う。

そのベクトルの総和を横目でにらみながら、もしかしたら国民の代表たちは議論をするのかもしれない。ルソーは熟議は必要ないとしているのだから、そのころ議員というものは存在しないのかもしれない。

一般意志2.0の世界では、投票もない、議員もいない。しかしネットを通じて国民のベクトルが可視化されている。そのベクトルに従って政策を実行すればよいのだ。こんなに清々しい政治はない。

いやもうその時は、政治なんていう単語はないのかもしれない。