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『人質の朗読会』を読む

昔、深夜放送のラジオを聴いていると、海外の放送局が雑音のように入ってきた。それは意味のわからない音だけのメロディだった。日本語は意味が分かって聞いてしまうために音としては捉えていない。逆に海外の人たちは日本語はどんな音だと感じているのだろう。

この小説は南米を訪れた日本人のツアー8名が反政府ゲリラに襲撃され人質となっている間行われた、 一人一人の人生で忘れられない話を語った話をまとめたものだ。 この「語り」が録音されていたのは 、救出しようとした政府軍が 盗聴器をしかけていたからだった。 物語の最後にはこの語りの会を聞いていた政府軍関係者の手記がある。 日本語のわからない彼はこの音(日本語の語り)を、「音楽ほどのうねりはなく小鳥のさえずりよりもより低い、舌も唇も使わずに、ただの喉の奥からそっと息を吐き出してるだけのように聞こえる」 と表現した。

人質の監禁は3ヶ月以上に及んだ。生存はできているものの、明日はどうなるかわからない日本人8名は、これまで生きてきた人生で忘れられないこと、秘めてきたことを語り始めた。

僕だったら何を語るだろう。
小学校の時に火災報知器を間違えて鳴らしちゃった時のことか、 中学校時代に学校に内緒で彼女と付き合っていたことか、だろうか。

監禁という人生が進まない状態になったとき、人は過去に起きたことを振り返る。短期記憶と長期記憶ではないが、何層にも折り重なった人生の記憶の中から思い出すものというのは数限られている。

あなただったら何を語るだろうか。

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