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読んだ本の話「今日マチ子 青柳いづみ著『いづみさん』」

スタッフの伊藤です。
最近は環境の変化から観劇ができていないので本を読み進める日々が続いています。
本を読み終わりページを閉じて、息を吐き余韻を味わうことができる本を読み、これは演劇を観た後の帰り道に歩きながら味わうような余韻と似ているのかもしれないと思うことがあります。

演劇を観た帰り道では自分が舞台に立っている想像をすることがあります。学生時代にほんの少し演劇をやっていたせいかもしれません。
想像をしてみても上手に演じることはできず、なんでもできる想像の世界ですらうまくできない、僕には演じるなんて無理なんだな、と観劇後の帰り道、電車に乗って、窓に映る自分を眺めるのです。
そしてすぐ自分を見ることに飽きて生きているように動く電線を見ながら観た演劇のことを思い返していると、電車が地下に入った瞬間にまた自分が薄く窓に映ります。
そんな時、ふと映る自分は僕なのだろうかなんて考えてしまうことがあります。
そういえば、職場での自分、家での自分、実家での自分、どれも違うような、たくさんの自分がいるような気がします。もしかしたら場所によって自分を演じ分けているのかもしれません。あるいは自分がたくさんいるのかもと思ってしまったのですが、きっとそれは読んだ本の影響です。

そんな本を読んだので紹介します。

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今日マチ子 青柳いづみ著『いづみさん』です。

俳優の青柳いづみさんが公演の最中に突然声が出なくなり、次の日の公演は中止になりボイストレーニングの先生のところへ行き、出なかった声は出るようになり声を出すことについて考え自分と自分以外の境界線を考え始めた日の日記から始まります。
今日マチ子さんの漫画ではそんな青柳いづみさんの日記を今日マチ子さんが解釈し漫画にしたものが1ページの中で両方堪能できるような構成になっています。

青柳さんの日記では舞台公演のために海外へ行った日のことや、誕生日を迎えた日のこと、稽古のこと、本番のこと、髪の毛を切った日のことなどなど、日々が青柳さんの目線で書かれています。
日記という文章だからか、青柳いづみさんの日々が書かれているのですが、今や瞬間が強く書かれているように読めます。そのせいか書いている人は同じなのに日が違えば違う自分なのかもしれないと思えてくるのです。

そして今日マチ子さんが書く漫画では青柳いづみさんと間違えられる「いずみ」という同じ人物のような彼女ががいて、「いずみ」は舞台に立ち「いづみ」はそれを観ているというように書かれていて、青柳いづみさん自身がたくさんいるような漫画になってなっているのです。

そして後半になると青柳いづみさんの日記が日々の生活のことから自分のことについての文章と変わっていき、今日マチ子さんの書く漫画も幻想的になり、毎日違う誰かを演じている青柳さん自身が多々存在していているように思えてきます。

演じている作品の中に自分はいるのか、いるのならば本当の自分というものはあるのだろうか、そんな自分という答えのないことを考えながら読むことができる本です。

文章と漫画どちらから読んでも良いし、同時に読んでも面白い本です。演劇を観た時のように、自分の中にある自分とふと目が合うような少し幻想的な本です。

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