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村山聖の遺産と羽生世代

大川慎太郎「証言羽生世代」(雑誌「本」2020年6月号。講談社)から。

今回は谷川浩司九段。

最も羽生世代に苦しめられた棋士をあげるとすれば、誰もが谷川九段の名前を挙げるだろう。谷川九段が将棋界を支配しようとしたまさにその時表舞台に登場したのが羽生世代。その筆頭たる羽生九段とは最多の168局を戦った(対局者を限定しない歴代では2位の対局数)。

だから、羽生九段あるいは羽生世代について話してもらいたい棋士の最右翼はいつも谷川浩司だった。谷川はそれに応じて率直に語る。

インタビュアーの大川氏は云う。

谷川九段にはライバルとなる同世代の棋士がいなかったから21歳で名人になれたのではないかと。谷川はそれに同意した。早くタイトルを獲得できた一方で切磋琢磨する同世代がいなかったために実力を十分に向上できなかったという意味だ。羽生世代はみんな10歳ほど年上の谷川九段を目標にして将棋を勉強したと云っているがという問いに対し、しかし谷川は、それはあるかもしれません。ただそれ以前に、子供たちが将棋をできる環境がちょうどそのころ出来たことが大きいのではないか、と云った。東京千駄ヶ谷の将棋会館のことである(昭和51年竣工)。どこまでも謙虚な谷川らしい。

そしてもうひとつ、

絶対に忘れてはならないことがあると谷川は口調を強める。羽生世代よりわずかに年長である村山聖(贈九段)の存在だ。幼少のころから重い病を抱え、タイトル挑戦まで果たす実力をもちながら29歳、現役棋士のまま死んだ村山聖。「羽生さんたちは村山さんと対戦し、身近でその姿を見てきました。健康で将棋が指せることの幸せをいちばん実感しているのがこの世代です」(谷川)。

そして谷川は云う。

「それが(羽生世代の)将棋に対する真摯な姿勢や、持ち時間を余さず目一杯使うことなどにつながっているのではない」か、と。こういった姿勢で将棋に取り組んできたから、彼らはまだ倒れない。いまも若手の厚い壁となっている。谷川自身もその影響を受け、だからこそ階級が落ちても順位戦を指し続けるのだ。


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