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人種差別を受けた時の話。

ここ最近、黒人差別やアジア人差別などの記事やニュースを目にする機会が増えたので、人種や人種差別について書いていきたい。

私が海外を訪れる時、その国々の生活に入り込んで現地人と行動を共にして、文化の違いや考えの違いを楽しむ。国によって文化・宗教・歴史など様々な背景はあるが、私の根底にある考え方は、同じ人間というカテゴリーにいるので、皆兄弟であると思っている。

日本人は、アジア人。

当たり前のことを言っているように思うかもしれないが、日本から出たことがない人、東南アジア、ハワイやグアムなどしか訪れたことのない人は肌感覚で自分がアジア人だということを感じづらいと思う。

先生になる前は、アジア圏しか訪れたことがなかったので、先生になってお金に少し余裕が出たことを機に、夏と冬の長期休暇を利用して年に2回アメリカやヨーロッパ諸国に行っていた。

ヨーロッパ諸国で友人のヨーロピアンたちと街を歩いている時に、ふとショーウィンドウに映る友達と並んで歩く自分の姿を見ると、自分がアジア人である事に気付かされることがある。

白人社会に出てみると自分がアジア人であることを突きつけられる。


Brother From Another Mother.

旅をしていれば、差別にあった経験のある人の話を聞くことがある。
しかし、私は白人国家に住んだや行ったことがなかったので、受けた事がなかった。アジアしか行った事がなかったので人種差別の話をしていく。

ワーキングホリデーで、オーストラリアに住んでいる時の話だ。
私はメルボルンに住んでいたのだが、白人以外にもアジア系やインド系、アフリカ系の人たちが多く住んでいて色々な人種が混じっていた。

私が帰国する日も迫っていたので、仲の良かったオーストラリアの友人達とタスマニア島に行くことになった。

自然溢れるタスマニアは、メルボルンに比べると、とても田舎で英語も訛りが強く、白人以外の人種が少なかった。街のバーに行くと肉体労働者が多く、よくそこら中で喧嘩をしているのを見かけた。

あるバーに入って飲んでいると、突然知らない男性が悪意のある顔で手を合わせて何度もお辞儀をして、差別的なことを言われた。相手は相当酒も入っているし、面倒なので無視していた。

しかし、それを見ていた友達のカーティスが「俺の友達に何をするんだ」と詰め寄っていき怒り出した。この旅に来ている仲間は、カーティスの小学校からの友達でアジア系オーストラリア人も何人かいるので、余計腹立たしかったのだろう。

その男性は、私に謝ってきた。私は差別をする人は受けてきた教育が原因で、その男性だけのせいじゃないと思ったので少し可哀想に思えた。

帰り道に、カーティスに改めてお礼を言うと、彼はこう言った。

"No worries, bro."
"You are brother from another mother."

「母親は違うけれど、兄弟だ」という意味だ。
いい表現だなと思い、そこから仲良くなった友達には必ず使うようにしている。

攻撃してくる人もいれば、味方してくれる人もいる。
世の中捨てたものじゃない。


Black and Yellow

メルボルンにいる時に、友達の住んでいるゲストハウスによく遊びに行っていた時期があった。そこには、アフリカ系の人も滞在していた。

私は、それまでアフリカ系の友達がいなかったし、話したこともなかったので話してみたかった。当時、私は "My Nigga"という曲をよく聞いていたこともあったので、より彼らのことを知りたかったし、関わってみたかった。

ある日、ゲストハウスの庭にいる時にアフリカ系の人が3人いたので、What's up my Nigga?と挨拶をした。

"Nigga"という言葉が差別用語で使われていたことも、黒人以外の人が使うこともタブーだということは知っていたが、仲良くなりたい一心で使った。

一瞬、彼らの動きが止まり顔が強張った。
時が止まった感じがして、無事に帰れないかもしれないかもと思った。

沈黙のあと、彼らは顔を見合わせて笑った。
「よく俺らにその言葉を使ったな」と言われたので、私は「黒人同士、仲間意識として使っている言葉なら、人種は違えど俺とあなた達は同じ人間であって、俺は仲間意識があるから使った」と話した。

マーズから、My Niggaという言葉は俺ら仲間内の時だけにした方がいいと釘を刺されたが、お前みたいなクレイジーなアジア人に会った事がないと言われ、他の黒人の友達を連れてくる度に、クレイジーなMy Niggaとして紹介された。


アメリカ人の友達にこの話をした時に、アメリカでは撃たれることもあるから止めておけと忠告された。彼らが受けてきた差別の歴史や背景を考えると、その通りだ。

N-word(差別用語)は使わないようにすべきだが、人種に捉われず同じ人間として接していくを忘れないようにしたい。

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