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小学校の先生になるまで。東南アジア旅⑤

バンコクにいる間に、ラオスには街自体が世界遺産の場所があると聞いていたので、一路ラオスに向かうことにした。

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世界遺産の街 ルアンパバーン

見渡す限り、高い建物はなく美しい山々とメコン川しかなかった。
ラオスは、社会主義の国の為か物乞いや強引な客引きがいなく、同じ東南アジアでもタイやカンボジアと比べて雰囲気が落ち着いている。

夜市があったので見に行った。土産や民芸品を扱った店や屋台が出ていたが、呼び込みや押し売りのようなことがなく商売っ気がないように見えた。

今まで行った国では、みんな商売っ気全開で声をかけてきたが、ここでは声すらかけられないので面を食らった。これも社会主義だからなのかと気になった。

いつも通り現地の人に話しかけていくと、彼らの反応が控えめでシャイな感じがして、外国人に話しかけられた時の日本人の反応に似ているなと思った。


ここルアンパバーンでは、修行僧による托鉢が毎朝行われているので早起きして、見に行くことにした。道は、オレンジ色の衣を着た修行僧の列ができていた。

托鉢とは、
仏教において僧侶が信者から必要最低限の食料などを乞うことをいう。

突然のお宅訪問

托鉢が終わり、ご飯を食べて街を散歩していると道で子供たちが遊んでいたので一緒に遊んだ。その近くの家の扉が開いていて、若者が円になって酒を飲んでいたので楽しそうと思い、挨拶をして中に入っていった。

向こうも最初は驚いていたが、正直に楽しそうだったから仲間に入れてくれと話したら席を空けてくれて、一緒に飲むことになった。居間にバイクがあったことに驚いたが、盗まれない為にしているみたいだ。

話していくうちに、盛り上がり手作りの焼酎を飲ませてもらったが強過ぎてフラフラになってしまったので帰ることにした。

仲良くなりたい気持ちと敬意があれば、どこに行ってもその土地を楽しめる。今回は、少し強引だったが嫌であれば断られるので恐れずに行った方がいいと思う。


春を売る家族

外で飲んでいると、HEROという10代のラオス人に会った。
彼と意気投合して話していると現地を案内してくれると言っていたので、30分後に待ち合わせして会うことにした。

楽しみに待っていると約束の時間を過ぎても現れなかったので、HEROの両親がやっている屋台に行って待つことにした。なかなか現れなかったので痺れを切らして、HEROの親父が地元を案内してやると言ってトゥクトゥクを借りてきてドライブがスタートした。

市街地を少し離れると、街灯もなく月明かりと車のライトを頼りに進んだ。進んでいくとポツンと建物が見えた。建物が近づいてくると、おじさんは「声を出してはいけない」と真剣な顔で言い、家のだいぶ手前でライトを消して車を停めた。

エンジンを切ると再度「絶対に声を出すな」と言い、緊張感が走った。何がここにあるんだ。辺りの静けさと街灯がない感じが危険な香りを漂わせた。
おじさんは携帯電話のライトをつけて先頭を歩き、その少し後を離れながらついて行った。

先頭のおじさんは、建物の脇を曲がり正面の方に行ったので着いていこうとすると、おじさんが「走れ」と言いながら慌てて戻ってくるのでトゥクトゥクの場所まで全力で走った。乗り込むと慌ててエンジンをかけて発進した。まさに映画のワンシーンのようだった。

一瞬の出来事だったので何があったか分からないが、おじさんは大丈夫と言い、次の目的地に向かっていた。少し走っていると、街灯が一つだけある木造の平屋が見えた。周りに他に家がなく、何だか違和感があった。

平屋には4つ扉があって、一つずつ入ることにした。扉を開けると中は、電気もなく薄暗かった。目を凝らすと、両親、兄、妹、赤ん坊の家族がいた。おじさんは、携帯電話の明かりでまだあどけない女の子の顔を携帯電話のライトで照らして、どうだと言ってきた。

女の子に年齢を聞くと16歳と言っていた。
そう、ここの平屋は家族でやっている売春宿だった。きっと先ほどの建物も同じだろう。ローカルを案内してくれると言ったが、かなりディープな所に来てしまった。

残りの部屋にも、やはり15〜18歳の女の子と中年のおばさんがいた。携帯で顔を照らされ、値段交渉をお母さんとして部屋の奥で行為に及ぶようだ。値段を聞いてみると、日本円で800円程度であった。

社会主義国なのに、なぜこんなことをする必要があるのか疑問だった。複雑な気持ちでいると、次々と現地人がやってきて、そこの扉に入っていく。部屋が埋まってしまったので、もう帰ろうとおじさんが言い、帰ることにした。

複雑な心境のまま、トゥクトゥクに乗りながら夜風を感じた。


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