小学校の先生になるまで。学生時代⑤
前回、青年海外協力隊のことを知って資料請求をしたのだが、その後、青年海外協力隊の説明会に行って実際の声を聞くことで、さらに行ってみたいという気持ちが大きくなっていた。
青年海外協力隊の募集は、主に春と秋の年に2回で大学4年生(卒業見込み)から応募資格がある。
青年海外協力隊とは、日本国政府が行う政府開発援助 (ODA) の一環として、外務省所管の独立行政法人国際協力機構 (JICA) が実施する海外ボランティア派遣制度である。
反対多数、よって反対。
私は、春の募集に応募しようと周りの人に相談する事にした。「いいね」と言ってくれる人もいたが、その当時尊敬していた先輩に相談した際に、「止めた方がいい」と言われたことが印象に残っている。
「今(2011年)、小学校教諭の採用試験の倍率は過去最低でなりやすい時期なのに、青年海外協力隊から帰ってきて教員採用試験を受ける3年後の状況がどうなるか分からないから、このまま教員採用試験を受けた方が良い」
普段から可愛がってもらい、行く末を案じてくれている優しさだと分かっていてもピンと来なかった。しかし、尊敬している先輩だったのでそれが正しいのかなと思った。
また両親も反対の立場であった。
わざわざ浪人して教育学部に入ったのに、なぜ外国に行くのか分からない。なりやすい時になった方が良い。
友達が言う「良いね」は、何となくの言葉でその言葉に責任があるとは思っていなかったが、自分の事を一番に考えている両親からの「反対」は、しんどかった。
私は「価値のある経験をしていれば、他の新卒や社会人、倍率なんて関係なしに採用されるでしょ」と思っていたが、先に生きている大人の言葉に自分が間違っているのかなと思ってしまい、春の募集を見送る事にした。
自分の心の声に従う
しかし、日々過ごす中で青年海外協力隊のことが頭から離れなかった。そこで気づいた。誰かに話すと反対されるから、誰にも言わずに試験を受けてしまえばいいと思い、秋の募集で青年海外協力隊に応募する事にした。
試験は、一次試験(健康審査、語学力審査)と二次試験(人物面接/技術面接)がある。青年海外協力隊の先輩の話によると、医療の整っていない途上国で過酷な生活をしていく上で健康面が良好であることが必須だと言われていた。
技術面接は、実務経験がないなりに答えたがイマイチな感触だった。人物面接は、上手く取り繕わずにありのままの想いの丈をぶつけた。
「途上国の為というのもあるが、それよりも帰国後に教員になって2年間の経験を日本の教育に還元したい」
バングラデシュって、どこ?
試験を終え、時は2月になっていた。周りの同期はほとんど進路が決まっていて、宙ぶらりんの状態に焦りを感じていた。2月の2週目に封筒が届いて、「バングラデシュ派遣」と書いてあり合格していた。
元々英語を使って活動がしたかったので、派遣国の希望は全て英語を使って活動できる国を希望していたが、業務使用言語にベンガル語と書いてあった。どんな言葉かも想像ができなかった。
そもそもバングラデシュがどこにあるかも分からなかった。調べたらインドの隣ということが分かり、ハードな生活が容易に想像できた。
しかし、結局どこに行ってもそこで自分が何をするのかがミソだと思ったので、バングラデシュにいく事に決めた。
合格して、海外に行くことを両親に伝えるとがっかりしていた。特に堪えたのが、祖父に伝えた時に困った顔で「理解出来ない」と言われたことだ。常に自分の事を一番に考えてくれている親族から、自分で決めた道を理解されないことは心から悲しかった。
合格したのに複雑な気持ちだった。
小学校教諭と幼稚園教諭の免許を取得して、大学を卒業した。
ほとんどの人が先生になっていく中、大いなる期待と不安を抱きながら自分のレールの上を歩き始めることにした。
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