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#2022年のわたしと仕事

ずっと、何者かになりたかった。「頭が悪い、何もなしていない」と自分に対して大きなコンプレックスを抱いていました。

2020年、転居をきっかけに念願の猫を迎えました。子どものころは常に動物が近くにいて、中でも猫が一番好きでした。
大人になり、自立して、やっと自分たちの力で猫と暮らせる環境を手に入れられたことが嬉しかったです。
多頭飼育崩壊の現場から救い出され、保護主さんのおうちで育ってきた成猫の兄妹を迎えました。1歳とちょっとの2匹。

ちょうど同じ頃に、転職もしました。「本を読むことが好きだから、文章を書くことに適性があるかもしれない」と思って、未経験でも応募できたWEBライター職の面接を受けました。2020年5月入社の予定がコロナで延びて、ようやく7月に出社したけれど、すぐテレワークへ切り替えに。猫たちがいたからちょうどよかったです。

それから2年、コロナもある程度生活に溶け込み、勤務先のテレワークが解除されました。
自分で選んだ勤務地なのに、通勤が嫌で仕方ありませんでした。満員電車では「今、後ろから刺されたら逃げ場がない」と思ったし、ビル群を眺めては「今、大地震が来たらこのガラス張りの建物はどうなるんだろうか」と思いました。

一方、出社すれば同僚がいて、自分が参加する企画があって、会議があってと楽しかったです。
WEBライターという肩書プラス、未熟ながらインタビュアーという役割もいただく機会に恵まれました。
私はずっと、社会の中で自分の立場が欲しかったので、「このまま続けていればもっと頼りにされるWEBライターになれるかもしれない」と希望を持ちました。ここにいれば「何もなしていない自分」を脱却できるかもしれないと思いました。

それでも、一息つくとおそろしいほど不安になりました。地上数十階のビル。今、大きな地震が来たら、私だけでも生き延びられるだろうかと。

家には猫がいる。だから何があっても私は外で死ねない。
だけど、働かなくては猫を養えない。

当時、インタビュアーとしてある業界の方々にお話を伺う機会をいただきました。おひとりおひとりが、人生を前向きに頑張っておられるように見えました。「そんなにがんばってるわけじゃないですよ」と笑う方も、よくうかがってみると「自然体でいるための努力」とか「好かれるための努力」とか、何かひとつは努力されていました。
なぜそんなにひたむきなのかと聞けば、「自分が行ったことはすべて自分に返ってくるから」と、誠実な方ばかりでした。

私はどの方向に努力をしたいんだろうかと、インタビューをするたび考えさせられました。手に職があって、社会でそれなりの立場があって、人からうらやまれて、憧れられて……。夢はどこまでも広がるけれど、私は夢を叶えるための努力を徹底できたためしがありません。
出社した会社では「今日も一日無事でありますように」と祈り、一刻も早く家に帰りたいと願い。でも、そんな自分を嫌って、「社会人なんだから、高卒なんだから、やっとつかんだ仕事を猫なんて理由で手放すの?」と呆れ返る自分も自分の中にいました。

結局、今年の秋に仕事を変えました。完全在宅のアシスタント業で、例外がない限り有期雇用、賞与はありません。
おそらく、この仕事を続けても手に職はつかず、社会的立場は得られず、低所得なので誰かから憧れられるということもきっとないでしょう。

今回の転職をまったく後悔していないかといったらそんなことはなく、気分の変化によっては泣きたくなるときもあります。

それでも、今の私にとって、時間を割いて、労力を割いて、大切にしたいのは猫=家族。とはいっても、毎日ただ同じ空間にいるだけだし、兄妹は私のこんな葛藤なんて知る由もないんですが。ただ、猫がおうちにいる方ならわかってくださるかと思いますが、猫と毎日ただ同じ空間にいるの、安心感と幸福感がすごい。

私は長らく中途半端な意識高い系だったのだと、猫のいる日々に気付かされました。おのれの足りない努力は棚に上げ、「意識が高ければ、いずれ何かになれる(何かになれなければ、自分は無能で価値がない)」と思っていたのは勘違いで、実のところ、ただ私を苦しめているだけだったのかもしれないです。

今は「目の前にある仕事や家事をひとつずつ、その時の自分ができる誠実100%で取り組もう」というテーマを掲げて日々を過ごしています。
なんの取り柄もない平凡な私が、希望する働き方を選択でき、自活でき、宝物を慈しめる。ありがたみをひしひしと感じる、そんな2022年のわたしと仕事でした。

大好きだよ〜




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