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故人を燃やす

お通夜にはたくさんの人がいて、次の日の葬式は半分くらいになって、いろいろ経て人が減って、そのあと最後の最後に濾過されて残った親族たちが、斎場からマイクロバスで火葬場へ向かった。私はその中にいた。故人のことを何も知らないのに。
火葬場は山の上にある。人間を焼くのだからそりゃ人里にこんな場所はあってたまるかよなと思う。
「そりゃ」ってなんだろう。『そりゃ人里にあってたまるかよ』この感覚が何かに似ている、気がする、けどわからない。
遠い。異質。デカイ。ずっとそこにあるのに見えない。
ここで人を焼くとは思えない、きれいな建物だ。既視感があるのに何にも似てない。宗教の施設。太陽の塔。障害者のホーム。発電所。変電所。給食センター。スーパーカミオカンデ?全部違う。もっと強くて絶対的な。
ああ、死んでいる人をここで決定的に死なすのだ。

エレベーターのような扉を前にして、台車に横たえられた故人を遺族が取り囲む。
「それでは最後のお別れです」
故人の配偶者が泣いている。冷たくなった頬に手を当てて、「今までありがとう、ありがとうねえ」と声をかける。さすがに私も少し涙ぐんでしまう。この姿の故人に会えるのはここが最後だ。生命活動は止まってしまったけど、まだ人間の形は保っているから。次に会うときは、もう骨になっている。

そして故人を乗せた台車はエレベーターの中へと進んだ。ゆっくり扉が閉ざされた。
さよなら。
職員がボタンを押して、火葬が始まったらしい。
きっと狭そうだ。苦しいだろう。死んでるからそういった知覚はないにしても、人生を共にしてきた身体を、燃やしてしまうんだ。それは、無念だろうか。熱くて熱くてたまらないだろう。かわいそうだ、と思う。でもこうして人を葬るのが、故人への誠意で敬意、遺族の責任なのだ。

それから食事が出た。故人を焼いている間は遺族の会食タイムという段取りなのだった。何の料理が出ていたか全く覚えてない。やっぱり精進料理だっただろうか。
全く箸が進まない。もともとここに来るまで少しバス酔いをしてしまったのもあって、食べ物を受け付けることができなかった。

食事が進まなくて、気分転換にロビーに出てみる。大きなガラス張りの窓から、ドーンと海が見える。日本海だ。ああ、いつの間にか海の近くまで来ていたんだ。
山で生まれ育った私にとって、海は見慣れない。怖い。ソワソワする。なのにずーっと見入ってしまう。鉛色の日本海は不安を掻き立てる。家に帰りたい。帰って納豆ごはんが食べたい

ぐずった子どもをあやしに、いとこの姉ちゃんがロビーに出てきた。もう何年も話していなかった。気まずい。

「久しぶり。デカなったなあ。学校、どうや。何か部活入ったんか。」
うん。別に。普通。バレー部入ったけどやめた。
「ほうか。」
会話、終了した。

故人は国語の先生だった、らしい。盆か正月かの親戚の集まりで「今は学校で何の勉強しとるんや」と聞かれたので素直に「漢文。レ点がよくわからん」と答えた。故人はガッハッハと笑った。「それはな、国語じゃなくて中国語だから、わからんで当たり前やて」
ガッハッハッハッハーーーー

そうか 中国語か。


焼かれた故人がエレベーターの扉から出てきた。もっとガイコツみたいなのを想像したけど、そんなにくっきりハッキリ残るものではないのだと知った。容赦なく焼かれていた。ニュアンスは異なるけど「変わり果てた姿」というのは文字通りこれのことだと思った。さっきまで人間だったものが骨になってしまった。そうか。これが火葬なのだ。遺族の誰かが両手を合わせていた。
「ここが喉仏のお骨です」
綺麗に残っておられますね、と施設の職員さんは言った。
でも、気を遣ってどの遺族にもそう言ってるんだと思った。
それから、骨を拾って骨壷に入れた。私も恐る恐る骨を拾った。トングみたいなやつで挟んだ瞬間に粉々になってしまうのではないかと怖かったが、意外としっかりとした硬さがあった。

故人の全ての骨を大きな骨壷に全て入れた。この地域は、部位の骨ではなく、全身の骨を大きな骨壷に収める。
それでも、少し入りきらなくて、骨壷から骨が少しだけはみ出ていた。
すると職員さんは「あ、その(骨壷の)フタ、押し込んじゃっていいですよ」と軽々しく言った。

言われた通り、遺族が骨壷のフタをぐっと閉めた。

グシャバキバキバキッと骨が砕ける音がした。

今やっとこのひとの人生が終わったんだな、と思った。

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