見出し画像

自己愛を高めよ。

「自己愛を高めよ。」
そう言われている気がした。

過去を思い出して自分を責めたり、
嫌われているに違いないと思ったり、
私には仲間がいないと思ってみたり。

私は、
私に対して散々なのである。

「なんとかせよ。」


まずは、深掘りしてみる

。。。。。 。 。 。  。  。   。    。     。
なぜ、私は私に厳しいの?
もっと、自分に自信を持つには?
。。。。。 。 。 。  。  。   。    。     。


自分の良し悪しを、
自分で判断できていないから。

私の価値を、
周りの目で判断しようとする。

本来の私は
あまり他人ウケを気にして生きていない。

だから、普段は自由人のように
振る舞ってしまう。

それを後から、
常識と照らし合わせて
自分を自己採点をすると、
絶対にかなりの減点が出る

常識人として完璧に振る舞わない限り、
永遠に自分の減点ポイントを責め続ける。

その割に、
本音では常識人に生まれ変わりたいとは
そんなに思っていないから
もうどうしようもない。


(じゃあどうするか?)
自分に厳しくしたくないなら、
常識という模範解答を照らし合わせて
自己採点するのを止めるしかない。


(そもそもなんで自己採点するのか?)
私ってもしかして駄目なんじゃないか?
という疑念があるから。

自分から見た私は
そんなに悪くないけど、

周りからみた私は
呆れられるほど
駄目人間なのではないか?
という仮説がある。

そしてその仮説は、
私の中にはじめから存在していた
「漠然とした不安」から生まれたものだ。

自己否定の種は、
はじめから存在していたのだ。


私の中に
自己否定の気持ちがあるから
「架空の否定的な意見」を
作り出して
私が私にぶつけてる。

じゃあこれから、
試しに「架空の肯定的な意見」や
「架空のニュートラルな意見」を
作り出してみる。




。。。。。 。 。 。  。  。   。    。     。
私という人間の価値は、
どう採点して
どう評価したらいいの?
。。。。。 。 。 。  。  。   。    。     。


評価なんてない。
価値は揺らがない。

仮に採点したとしても、
点数はいつも同じ。
100億点。

私の価値はどうやっても下がらないし、
逆に
頑張ったからって上がりもしない。

誰かより下位の存在にはならないし、
誰かより上位の存在にもなれない。

不安だから、
価値を高めておきたいのだろう。

[私ってもしかして嫌われてる?]
[私ってもしかして価値がない?]

そんな不安から、
世間にごますりをしたいような気分に
なる時がある。

架空の減点を挽回するように、
自分という人間の価値を
高めておきたいような気分。

でも価値は変えられない。
諦める。


全ての存在は同じ価値。
採点の必要が無い。

逆に、採点し始めているなら、
自己価値を低く見積り始めているサイン。




ネガティブ感情があるということは


私という人間に対して
たびたび嫌な気分になる。

その感情は、間違いなく存在する。

消そうとして、
どこかに追いやろうとしても、
無くならない。

ネガティブな感情があるということは、
本来の私の感覚と
なにかがズレている。

ネガティブであればあるほど
劇的にズレている。

漠然とした恐怖心。
漠然とした自己否定。
漠然とみんなに好かれていないような感覚。

「私って、多分、駄目人間だ。」
としょっちゅう思ってるってことは、
わりと強目に確信してしまっている。

それはやっぱり
他人の目線で判断しようとしているから。

もっと言うと
必要ないジャッジをしようとしているから。

私にはとても価値がある。
(もちろん、人類全員、同じ価値)

存在しているだけで価値がある。
なにしてようが、
その価値は下落も高騰もしない。

価値は不変だが、
私という個性には
どんな魅力があるのか、
解き明かしていきたい。

統合の意識と
分離の意識を
正しく持ち合わせるということ


みんな、もとは一つで、
同じ価値。(統合の意識)

でも、それぞれの個性に従って
いま存在している。(分離の意識)

もともと一つだったものが、
分離の経験をしたくて
超バラバラになって宇宙に散らばっている。

そんな中でも、
私たちは強目に分離したくて
地球に来ている。

今の私の状態から、
どう統合の意識に持っていけるか?
というのも大事だけど、

どう分離しているのか?を
追求して自分を知る(思い出す)のも
大事なんだと思う。

正しい統合と正しい分離、
どちらも突き詰めていくことで
自己愛に繋がる。


自己愛できれば、他者も愛せる。

他人の目線が特に気になるような時は、
自己愛や他者愛が
すり減っている時でもあるんだろう。

自己愛が無くなって
自信も湧かなくなるのは分かるけど、

他者を愛せなくなっても
自信が湧かなくなるってことなのかな。



でもなぜか、往々にして

「上手くいってるのか不安…」と
自信が無い仕事を
周りから高く評価されたり、

逆に自信が有るときに限って
なんでか上手くいかなかったりする。

だから、それって
自分ではよく分からないってこと。

自信があるかどうかと、
周りからの評価や結果が付いてくるかは
あまり関係がないということ。

「上手くやれそうかどうか」
「上手くやれたかどうか」
「自信があるかどうか」を考えて、

不安になろうが自信がつこうが
あまり意味がない
(結果にコミットしない)から、

気にせずズンズンと行動する。

どれが完璧で、
どれが改善の余地ありなのか
探して、スポットライトを当てる。

感情を生む必要は無く、
自己愛と連動させる必要も無く、
淡々と。

ニュートラルに、
自分と繋がる。

これしかない。




はー、今日はベストを尽くしたわ。
今日やったこと、
マジで全てが最善だったわ。

という体でいることにする。
夜はそんな気持ちで寝る。

それがジャッジしないで
ニュートラルでいるってことかな?
と思って。

私とLUCA

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?