心地よい匂いの報酬価値の神経処理(2021年4月Current Biology掲載論文)

先日, 恐怖情動を惹起するにおいが人工冬眠状態を惹起するメカニズムに関する論文を紹介したが, 今回は心地よいにおいに関する研究を紹介しようと思う. 

音楽を聴いたとき, 絵画を見たとき, においを嗅いだときなど, 感覚刺激は快であれ不快であれ, なんらかの情動が惹起されることが多い. におい自体の強度, 種類がどのように処理されているかということにもまだまだ謎は多いが, においに伴う情動がどのように神経処理されているかについてはさらに多くの謎が残されている. 

今回紹介するのはスイスのローザンヌ大学からの研究で, タイトルは「Neural processing of the reward value of pleasant odorants(心地よい匂いの報酬価値の神経処理)」だ. 筆者たちのグループは, 心地よいにおいが嗅神経に受容された後, 嗅球の中でも後部(posterior olfactory bulb : pOB)にその情報が伝達されていることを発見しており(Kemen et al., Nat Neurosci, 2016), その続きに位置づけられる研究である.

今回の報告で面白いなと感じたのは, マウスで様々な検討を行った後に, ヒトでも同様の神経回路で情報が処理されていることを示している点である. 医療系ではない分野で, ここまでしていることは珍しく感じたため, 目を引いた. 

心地よいにおいを嗅ぐとpOBが活性化することが知られている. そこで, pOBの活動が報酬系の活性化につながるかどうかを光遺伝学的手法(NpHR)を用いて検討した. オペラント行動課題による解析と, 腹側被蓋野(VTA)のドパミン神経の活性(c-Fos)の解析から, pOBの制御によって報酬系の活性化が生じることを確認した. 併せて, 嗅球(OB)とVTAが交差する場所にある嗅結節(OT)の投射神経である中型有棘神経細胞(medium spiny neurons:MSN)の活性化を解析すると, pOBの光刺激によりDARPP32陽性神経の活性化も確認された. これらの結果より, OTがpOBから報酬系への直接的なゲートウェイであることが示唆された. 

続いて, c-Fos標識を用いて, 自発的に嗅いだ匂いに反応する神経活動のマッピングを行ったところ, 二次嗅覚野のc-Fos+細胞密度はOTを除き, いずれの嗅覚野でも差がなかった. また, OTは心地よいにおいにのみ反応し, 心地よくないにおいには反応がなかった. 心地よいにおいに引き寄せられる行動に対して, OTが重要な役割を担っていることが示唆された. 

後は, 条件付場所選択試験(conditioned place preference:CPP)により, 心地よいにおいにより形成される嗜好性がVTAドパミンシグナルを介していることを薬理学的に検証している. 

動物を使用した主なデータは以上であり, 最後にヒトでも同様の神経回路で心地よいにおいが処理されているかどうかを行動試験とfMRIで確認している. 結果としては, ヒトでも心地よいにおいを嗅いだ際には, 心地よくないにおいを嗅いだ時と比較してOTの活動が高まり, その他の二次嗅覚野領域では活動に差がないようである. このヒトのデータがあることで, 研究の価値をグッと高めている印象だ. 

心地よいにおいに関する研究はヒトを対象として消費財メーカー(例:柔軟剤のにおい)では積極的に取り組まれているものの, メーカーの研究は商品が売れるかどうかに重きを置いている. そのためどうしても, ある化学物質が嗜好性をもつかどうかという官能評価中心の研究になりがちであり, どのように脳内で処理されているかどうかは長い間ブラックボックスのままであった. そのため, 本研究のようなげっ歯類から始まり, ヒトでも同様の機構で処理されているかどうかを解明する研究は非常に価値の高い内容であると感じた. 

なおこれは完全に余談だが, この研究グループがヒトを用いた行動試験を得意としているかどうかでデータの受け止め方が若干変わる(過去の論文を調べればよいだけなのだが・・・). ヒトの被験者は試験の目的を明確にされていない場合でも, 自分が外れ値になってしまうことを恐れるためか, 「きっとこういうデータを出してほしいんだな」と変に頭を回し, それに沿うように行動してしまうことがよくある. それがバイアスとなり本当の意味で正しいデータが出ないことが少なくない. そうしたバイアスがかからないようにうまい試験デザインができるかどうかが研究者の腕の見せ所でもある. また, fMRIについても同じ研究者が試験を行った場合でも環境が変わると異なるデータが出てしまうことが少なくない(ラボを移動した途端, 再現性がとれなくなったり). そのため, 私はヒトのデータを見るときは特に, 一定の信用をしつつも, 完全に信じ込まないレベルで受け止めるようにしている. 

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