人工冬眠を誘導するにおい分子とその神経伝達経路の解明(2021年4月 Nature Communications掲載論文)

嗅覚は五感の中でも最も軽視されてきた感覚である。「五感の中のうちどれか1つの感覚をあきらめないといけないとしたら?」と尋ねられるとたいていの人は嗅覚を選ぶ。実際、マッキャン・ワールドグループによる2011年の調査によれば、ノートPCや携帯電話のような電子機器をあきらめるか、それとも嗅覚を失うかどちらがいいかと尋ねられた若い人(16歳から22歳)のうちなんと半数以上が嗅覚を失うことを選択したという報告もある。置き換え可能なテクノロジーを失うことよりも、身体的な障害を負うことを選ぶことは冷静に考えると驚きである。

さて、それほどまでに嗅覚の重要性は軽んじられているわけであるが、多くの動物、昆虫、魚などにとって、匂いは生命の維持に直接的に関わると言っていいほど重要なものである。 動物は嗅覚で危険を察知したり、敵味方を区別したり、異性を判別したり、食物を探したりする。そのため、嗅覚を失った動物は野生の世界で生き残ることは極めて困難になる。

動物が生き残るためには危険に対して恐怖を感じ適切な対応することが重要であり、マウスなど多くの動物は、天敵のにおいを嗅ぐと逃避やすくみなどの恐怖行動を示すことが知られている。今回紹介する論文は関西医科大から発表された研究で、タイトルは「Thiazoline-related innate fear stimuli orchestrate hypothermia and anti-hypoxia via sensory TRPA1 activation(チアゾリン関連の先天的恐怖刺激は、感覚的なTRPA1の活性化を介して低体温および抗低酸素症を誘導する)」だ。

彼らのグループは過去に、先天的恐怖情動を誘導する匂いと学習による後天的恐怖情動を誘導する匂いが別々の脳領域で処理されていること(Nature, 2007)を発見し、さらに、マウスやラット等の齧歯類が先天的に恐怖するにおい分子であるTMT(キツネのにおい)と比べてはるかに強いすくみ行動を引き起こするチアゾリン類恐怖臭(tFO)の開発に成功する(Cell, 2015)等、この分野におけるトップランナーである。

2015年のCell論文にて報告されたtFOを用いてマウスを刺激するとなんと恐怖によるすくみ行動だけでなく、低体温・低代謝状態という一種の人工冬眠状態を誘導することができた。この現象を詳しく調べたところ、通常の冬眠とは生理状態が異なり、チアゾリン類恐怖臭が誘導する⼈⼯冬眠では⽣命保護作⽤が極大化していることが示された。4%酸素環境では通常のマウスは平均 11.7 分しか⽣存できないが、驚くべきことに、チアゾリン類恐怖臭で予め刺激したマウスは 4%酸素環境で平均 231.8 分も⽣存できたそうだ。

さて、そのメカニズムを詳細に調べたのが今回の報告である。彼らの実験とその結果を以下に記す。

・TRPA1 KOを欠損したマウスではtFOによる低体温と徐脈が消失することから、TRPA1の関与が示唆された。

・tFO刺激は4%酸素環境(低酸素環境)でのマウス生存時間を延長させるが、その効果がTRPA1 KOにより消失した。

・TRPA1を刺激するほかの化合物が、tFOと同様に低酸素抵抗性を有するかどうかを調べたところ、ワサビの辛味成分AITCやアセトアミノフェン(アセトアミノフェン自体にはTRPA1活性はないが、その分解物がTRPA1活性を有する)刺激により、低酸素抵抗性を獲得した。また、その作用はTRPA1 KOにより消失した。一方、THC(大麻成分)による刺激では低酸素抵抗性を獲得しなかった。

・神経経路を特定するため、三叉神経の切断、迷走神経の切断、RTXによるTRPV1陽性三叉神経の除去(TRPA1は大部分がTRPV1と共局在を示す)により、三叉神経および迷走神経が重要であることを示した。さらに、嗅覚神経における特異的なTRPA1欠損(omp-cre)ではtFOによる低体温の誘導が抑制されず、体性感覚神経における特異的なTRPA1欠損(advillin-cre)ではtFOによる低体温の誘導が抑制された。これらの一連の実験により, 三叉神経および迷走神経のTRPA1活性化を介した現象であることが示された。

・続いて, TRPA1陽性神経の投射領域を調べたところ, tFOにより活性化されたTRPA1陽性三叉神経と迷走神経はそれぞれ脳幹のSp5と孤束核(NTS)に投射し, c-Fos mRNA発現を上昇させることが示された。

以上で、tFOがTRPA1陽性三叉神経および迷走神経を介して人工冬眠状態を誘導すること、さらに関連する脳領域としてSp5/NTSが特定できた。ここまででも十分興味深い発見なのだが、さらに著者たちはそこから一歩進んで大変面白い発見とさらなる疑問を投げかけている。

・TRPA1を刺激する様々な成分を用いて、TRPA1活性のパターンを電気生理学的手法とCa2+ imagingを用いて解析したところ、tFOの一種である2-MTはTRPA1に作用して内向きの電流を発生させた一方で、迷走神経の細胞内Ca2+濃度上昇は引き起こさなかった。一方で、TRPA1の代表的なアゴニストであるAITCやシンナムアルデヒドはTRPA1を介した内向き電流と迷走神経および三叉神経の細胞内Ca2+濃度の上昇の両者を発生させた。

・さらに詳しく解析するため、TRPA1アゴニスト刺激後、Sp5/NTSにおけるいくつかの最初期遺伝子(c-Fos, Egr1aを含む12遺伝子)の発現パターンを解析したところ、2-MTや4E2MTといったtFO刺激と、AITCやシンナムアルデヒド刺激ではSp5/NTSにおける最初期遺伝子の発現パターンが全く異なることが明らかになった。また、2-MTおよび4E2MTのようなtFO刺激では非常に強い低酸素抵抗性獲得に寄与するのに対して、シンナムアルデヒド刺激では低酸素抵抗性を獲得しないことから、異なるTRPA1活性化リガンドでは異なる生理反応が生じることが示唆された。

以上の一連の実験により、TRPA1刺激が人工冬眠現象の誘導に必須であることは確からしいが、TRPA1刺激が必ずしも人工冬眠につながるわけではないこと、その理由として神経活動パターンが異なることが示唆された。

TRPA1活性による神経の活動パターンの違いは何から生まれているのか、というのが非常に気になるところ。リガンド結合部位が異なることで、TRPA1が特定の構造をとることが原因なのか、それとも一部のTRPA1陽性神経がkeyとなっているのか(何かほかのパートナー分子が存在する?)、あるいは、全然別のメカニズムなのか・・・。

後半の部分があるおかげでグッと研究の面白さが増して、この部分が特に評価されてNat Commへの掲載なのかな、という印象ですね。この部分に対するさらなるデータがあれば、もう一つ上のJournal掲載になったんだろうな、という感じです。面白い!

第1回目の論文紹介記事だったので、はりきって長々と書いてしまいました・・・。次からはもう少し要点をまとめて要約という形で書こうと思います。

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