有坂 あづ美

長野で生まれ育ち、芸術大学進学を機に京都へ。卒業後も京都で生活しています。2019年秋…

有坂 あづ美

長野で生まれ育ち、芸術大学進学を機に京都へ。卒業後も京都で生活しています。2019年秋に企画会社「neun.d(ノインディー)」を設立。そしたら、コロナ禍に。近所の農道で空を見上げながら過ぎたことをごちゃごちゃと考えるのが日課です。

最近の記事

おちつけ、落ち着け

社会人になって何年かしたある時、中学生の頃から仲が良い友達が京都に遊びに来た。彼は一浪して地元の長野から京都の大学に進学してきて、先に京都に来ていた私にとって少ない同郷の友達であり、たまに会って食事をしたりして昔話や今好きな子がいるとかいないとかそんな他愛ない話をする仲だった。 彼は、一旦は就職したけれど職場になじめず一年持たずに退社。遊びに来たその頃は、少し心の休憩をしたのち公務員試験を受けるために専門学校に通っていたところで、休みを使って大学時代の友達と会うなどいろいろ予

    • 教わってやるんだ、ありがたく思え

      さくらももこさんのデビュー作「教えてやるんだありがたく思え!」に文字ってみました。あの漫画は小学生ながらにお腹を抱えて何度も読みました。 私は縁あって教育の仕事に就いているので、結構意識していつも考えていることがあります。学生にとっての「学ぶ」と「教わる」。 私の印象でしかないけれど、この二つの言葉は、送り手と受け手の二者の立場があって成立するもので、教育の現場ではこれが既に用意されている。 今の私は、自ら決めて努力したのちにこの場にいる受け手たちに、 送り手として私の持つ

      • フラれる準備

        私は人生で何回フラれただろうか…好意があると告白して思いは届けられても、相手が同じ気持ちで私を思っているとは限らない「好きです」を発するのは、虚しく、切ない。 私をフった人たちの返答もそれぞれ。私があまりにもしつこかったのか、結構ひどい言葉を言われたこともある。その瞬間は、なんてひどいことを言うんだ…と愕然とするのだけれど、結局言わせたのは私だ。 ひどい言葉でないにしても、フる方も大変よ。好きになれないのに、好かれてしまって、何を言っても傷つけてしまうのはわかっていて、断らな

        • 校正紙

          あれも書きたいこれもいいなとネタばかり思いついて、noteを開くまでの時間がなかなか取れず、今日に至りました。 最近、2〜3年ぶりに自分の作品を見直す機会があって、ついでに夫や仕事仲間の人たちとの会話ではよく盛り上がる話題を文章にまとめてみる機会にもなった。 思っていること、思いついたこと、やっぱり目に見える形にしないとダメ。文字でも絵でも図でもいいから。それに、そのためには日頃書(描)いていないともっとダメで、全然まとまらない。というか思ってるんとちゃう!ってなる。アレとコ

        おちつけ、落ち着け

          ニガテ=嫌い ではない

          私は、小さな頃から粘土工作がニガテでした。あと、折り紙とか、手芸とか。立体物になる制作をニガテとしていました。さほどやっていないのに、「あーこれは向いてない!」と諦めていました。 でも、好きなのです。いや、好きになったのです。どうやらある条件を満たすと「好き」と「できる」の神が降ってくるのです。 そしてそれは、「できる」と思うより前に「やる」と決める方が早いこととと、材料となる部品がたった一つ目の前にあることに助けられているようです。 あれは高校3年生の夏、学園祭の出店に焼

          ニガテ=嫌い ではない

          「記憶」って

          大学生の頃、たしか2年生の夏休みの制作課題として「記憶」というテーマが出題されて、2ヶ月もの間悶々と「記憶」と向き合っていました。でも、向き合った割に大したアイデアが出てこず提出日は迫り、「記憶にございません」という一躍流行語となった昭和の大事件・ロッキード事件を使った作品を作りました。 提出時にはみんなの前で作品をお披露目するのですが、この授業は、というかこの先生の授業は、どれも作者本人には喋らせず、他の学生たちがまずその作品を見て自由に発言するというもので、作者の意図と他

          「記憶」って