政府の「給付金」「平等に」というが平等が違うのではないか...
厚生労働省「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策」(「子育て世帯への臨時特別給付金」の給付とあるが、生活保護世帯に対する自治体向けの通達文。この紙面はせっかくの給付にあれこれ条件をつけたもの。
本当に条件をつけるのが好きな政府だ。一番シンプルな方法、それは「新型ベーシックインカム」給付だ。政府は「平等に.....」というが、「平等」を考え違えしている。これだけ複雑な制度だと、この制限から外れることがいつも起こる。そしてそれが社会問題になる。さらにこれらの制度は「申告制」だ。知らなければ、申告しなければ制度があっても利用できない。それでも「条件付き」「申告制」を続けるのか。政府は訴訟問題になるのを極端に嫌う。行政の多くは国民に対して「やってやってるんだから文句あるか!」とでも言いたげにいつも高飛車だ。行政は国民に対する「行政サービス」であることを忘れてはならない。これらは今始まったことではない。延々と脈々と2,000有余年国民はそれにひれ伏してします。今でもそこから抜け出さずにいる。日本国全体が疑問にも感じずに「そういうものだ」と思考停止している。問題があっても訴訟にすることはほとんどない。
ここで言いたいことをもう一度整理してみる。いくらいい制度があっても「条件付き」「申告制」「審査」「決定権」「etc」があればそれは「愚策」でしかない。先程の子育て世帯給付にしても子供がいて収入が減って生活が困窮していても必ず給付を受けられずさらに窮地に立たされる国民が続出する。本当の「平等」はこのような国民を一人たりとも出さないことが「平等」ということは確信を持って断言する。
人は困り果てると抜け道を探す。それを肯定できないが、これまでの制度運用(条件・申告・etc)はそうせざるを得ない人を作り出していることになる。制度の一義的意味は、悪用する人をなくすことではない。漏れる人を一人も出さない。が「平等」でありかつ最優先だ。はっきり言って優先順位設定の大きな誤りである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?