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BBTクローン再生計画(7)最初で最後の「笑っていいとも!」体験

YouTubeなどのネットコンテンツが台頭し、テレビが「メディアの王様」の座から陥落して以降、「子供から老人まで知ってる国民的人気番組というのは無くなった」と言って差し支えないでしょう。

事実上「日本最後の国民的人気番組」となったのが、1982年から2014年まで、実に32年の長きにわたって放送された「笑っていいとも!」です。
普段は「テレビなんてオワコンじゃん」とうそぶいてるような世代であっても、「生まれる前からやってた番組」であるせいか、終了時にはそれを惜しむ声が若者の間からも上がっていました(1988年結成のSMAPが解散した時にも同様の反応がありましたね)。

「笑っていいとも!」が始まったとき私はもう高校生でしたが、その前番組「笑ってる場合ですよ!」が好きだったんで、「あんな変なタイトルの番組なんかすぐ打ち切りにならぁ!」と仲間と毒づいてました。
それでもだんだんと馴染んできて、いつの間にか「放送時間に家にいたら観る番組」になりました。
とはいえあくまで「それ以上でも以下でもない存在」で、上京して「観覧に行こうと思えば行ける環境」になってからも、特に観覧募集に応募しようとは思いませんでした。

そんな私ですが、32年の放送期間中に一度だけ、「観覧したい!」と思ったことがありました。
それはテレフォンショッキングのゲストが、東宝特撮映画の伝説的ヒロイン女優「水野久美」だった回。
といっても水野さんがゲストだと分かったのは出演前日でしたので、通常の観覧希望者募集に応募しても間に合いません。
だから当日の午前中にスタジオアルタまで出かけ、補欠枠(キャンセル待ち)の観覧希望者列に並んだわけです。
ちなみにネットで調べたら、その日は「1985年5月17日」だと分かりました(当時の私は21歳)。

アルタ前には私が着いた時点でもう結構な人数が並んでいました。
当日キャンセル者がどの位いるのかは分かりませんでしたが、まぁせっかく得た貴重な観覧権を自ら捨てる物好きなんてそうそういないでしょうから、「……む。これはなかなかの激戦だぞ」と私は唇を噛みました。
係員から整理券を受け取って本番直前まで待ちましたが、結局キャンセルは出ず、私が観覧席に座ることはできませんでした。
それでもこの日の出来事は「良い思い出」として私の脳裏に刻まれいます。
そのとき貰った整理券を、36年経った今でも「青春の1ページを飾る記念品」として捨てずに持っているのが、何よりの証でしょう。

1円もかかっていない(通学定期の範囲内なんで新宿までの電車賃もかからず)こんな些細なイベントでも大いに楽しめたなんて、思い返すと「なんてノーテンキで良い時代だったんだろうか」としみじみ思います。
当時は好景気ではありましたが、学生は基本的にビンボーだったんで、「金をかけないと遊べない」みたいなことは、よほどのお坊ちゃまででもない限り口にしませんでしたね。
「1円もかけずに楽しむスキル」というのは経済学的にはよろしくないものなのでしょうが、しかし私は子供の頃からこれに救われてきました。
バリバリ稼ぐ(稼げる)方というのはいつの時代も一定数おられるわけですから、国庫のほうはそういう層に潤わしていただいて、恐縮ですが私みたいな奴は「ビンボーを楽しむ力の研磨」を続けさせてもらいたいですね。

「貧困にあえぐ」のではなく「ビンボーを楽しむ」ことができる人がもっと増えてくれたらいいのに……と個人的には思うのですが、それには世の中が今よりも上向く必要があります。
「昔は良かった」的な物言いは嫌われますし、物事の良し悪しは各人の価値観に左右されるものなんで、昭和期が令和の今より良い時代であったか否かは軽々に言えるものではありません。
けれども「懐が危うくなった時に必要な分だけ働いて、それ以外はアクセクしない」といった暮らしが「選択できた」点においては、やはり「好景気だった昭和末期は良かった」と、つい思ってしまうのです。

画題「お昼休みにウキウキウォッチングしたかったなぁ~」

水野久美


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