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BBTクローン計画(2)「町中華」がグルメジャンル化されてることに違和感大な話

私が上京した1983(昭和58)年というのは「東京がキラキラしていた時代」でした。
景気は良いけど、まだバブル期のような拝金主義は蔓延してなくて、「一等地でしょぼい(←肯定的な意味で)商いを楽しみながらしている店」なんかも結構あった。
世の中も金まわりが良いから仕事はいっぱいあって、「ライフワークを追求しながら、必要な時だけちょっと働いて稼ぐ」みたいな生き方をしてる自由人も多かったですね。
単発仕事の口も色々あったんで、生活の不安を感じることもなかった。
「金は天下の回り物」という言葉が生きていたんです。

私も自由人の末端にいて、風呂ナシ四畳半一間トイレ共同の安アパートで暮らしながらフラフラしていました。
文庫本一冊買おうか買うまいか本屋で1時間以上も思案したり、通学定期のエリア外にある学校の実習場まで歩いて行ったり、電車賃がなくてアパートまで5時間かけて歩いたりと、金銭的に言えば「最底辺」にいたわけですが、当時の若者は大なり小なりそんな感じだったんで、辛いと思った事なんか一度もありませんでしたね。
落語の「長屋の花見」よろしくビンボー仲間と集まってビンボー宴会をよく開いたりして、むしろ「あの頃が人生で一番楽しかった」気がします。

そんな私の「たまの贅沢」が「町中華での外食」でした。
常連だったのは街はずれのさびれた店で、ラーメンやチャーハンがとにかく安かった!
それぞれ200円くらいで、両方頼んでも他店のラーメン一杯分くらいしかしないんです。

その代わり、美味くはなかった。
というか、なぜか知らねどその店のラーメンのスープを飲むと「……ジャリ……ジャリ……」と砂のような食感がするんです。
東京都心の店舗内で食べてるのに砂風の激しく舞う海岸で食べてるような気分になるので、私は密かにその店のラーメンを「海の家のラーメン」と呼んでいましたね。

にもかかわらず、常連は結構いたんです。
というか、そもそも私も通ってましたからね。
グルメを自認するような人だと「どんなに安くても美味くない店には行かない」でしょうが、私たちビンボーヤングにとって「安い」は「美味くない」を凌駕するものなんです。
バブル前にはこういった「クセが強い店」が結構ありましたが、やがて「儲かることが正義!」みたいな時代になるとどんどん駆逐されていき、跡地は「グルメ気取りの小金持ちをターゲットにしたクセのない店」ができていきました。

私は町中華に関する本も出してる人間ですが、どうも最近の「町中華ブーム」という奴は好きになれない。
町中華が「グルメジャンルの一形態」にされているのにも大きな違和感があるんです。
私にとっての町中華は「グルメブームの対極にあるもの」で、「美味いとか不味いとかでは語れないもの」。
かつての私の行きつけ店みたいな「全然美味くないのに、しばらくするとまた行きたくなっちゃうんだよな~」というトコロこそが「町中華の真髄店」だと心の底から思います。

え? 「単に安かったから行ってたんだろ」って?
いや、「安い」ということで言えば自炊したほうが断然安いわけで、経済的な理由だけで通ってたわけじゃありません。
思えば私は「料理ではなく店を味わいに行ってた」気がするんです。

いま私が取り組んでいる「BBT(=Before Bubble Tokyo=バブル前の東京)のクローン再生計画」では、ああいう店も復活させたいなぁ~。
あんな面白い店があるような環境こそが真に「文化的」なんだと私は思うんです。

画題「なぜ通っていたのか自分でも理解不能なのだが」

無題81


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