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BBTクローン再生計画(10)銭湯にノスタルジーを感じる人には悪いんですが……

もう結構前から日本屈指の斜陽産業となっているのが「銭湯」です。
「1986年に2600軒以上あった都内の銭湯が2016年には約600軒まで減少した」という記述もありましたが、それからさらに5年経った今ではもっと減っているでしょうね。
私が上京した1983年時点での東京の銭湯料金は「230円」でしたが、2021年現在は「470円」
31日間キッチリ通えば月に「1万4570円」もかかりますので、「だったらその分家賃に上乗せして風呂付きに住むよ」となる人も多いと思います。
そもそもそれ以前に、昨今は風呂ナシ物件を探すほうが難しかったりしますし。

銭湯は、バブル前には都心の各駅周りに最低でも2~3軒はありました。
私が最初に住んだ国電「荻窪駅」北口エリアではアパートから徒歩3分に1件と、8分くらいのところに1軒。
あと、南口の駅そばに1軒と、15分くらい離れたところにもう1軒あって、そこは簡単なジムとかもついてる最新鋭(当時の)銭湯だったんで、友達が遊びに来たときにはそっちへ遊びに行ってましたね。

お風呂屋は超都心であっても存在し、渋谷区の恵比寿3丁目に住んでいたとき(87年~93年)も風呂ナシだったんで銭湯通いでした。
アパートから坂を下ってすぐのところに「マンション内タイプ」のキレイなところがあって、普段はそこを利用。
そちらが定休日の時には首都高速道路の向こう側の「港区」まで足を延ばし、昔ながらの銭湯建築(宮造り)の古い店を使ってましたね。
その店は、今では「プラチナ通り」なんてスカした呼ばれ方してる四車線道路に並行したバス通りにあるんですが、現在はどうなっているのやら。
地図検索して探しても見つからなかったんで多分もう無いんでしょうねぇ。

最近では「ノスタルジーアイテム」という捉えられ方で、若い愛好者も増えている銭湯。
つまり、「生活者の実用品」から「マニアの嗜好品」に変わったわけです。
18歳で上京してからおよそ12年間を風呂ナシアパートで過ごした私にとって銭湯は、使わなくなって四半世紀以上過ぎた現在でも、まごうことなき「実用品」
だから「休日のレジャー」としてあそこに行く人の心理は今ひとつ理解しがたいのです。

いや、でっかい湯船に浸かるのは確かに気持ちイイし、開店前から待っていて、まだ陽の高いうちに一番風呂を楽しむのが愉快ツーカイなのもよく分かります。
ただ、「休日のレジャー」というふうにはどうも、ねぇ……。
その理由は「風呂ナシ時代はずっと銭湯に支配されていた」からだと思うんです。

「銭湯に支配されていた」とは、つまり「どこで何をしていても、必ず『銭湯の営業時間内』に帰らないといけない」ということ。
楽しく仲間と飲んでる時でも「早く帰らないと風呂に入れなくなる……」という不安が常に頭の片隅にあるし、実際、宴の途中に「あ、じゃぁ俺はお先に……」と銭湯のために離席することもしばしばありました。

私の行きつけ店の営業時間は「午後3(4)時~午前1時」という深夜までやってるところでしたが、それでも遊びに夢中になりすぎると間に合わなくなる。
私は汗っかき体質なんで毎日入浴できないとイヤで、ベトベトした体で布団に入るなんて考えただけで悪寒が走ります。
だから銭湯という「絶対君主」に服従せざるを得なかったんです。

そんなわけで、生まれて初めて「風呂付き物件」に住めた時の感動はすごかったですねぇ~。
ほとんど「解放された奴隷」のような心境で、「やった! 今日から俺は自由の身なんだ~!!!!」とマジで叫びたくなりましたよ。
それ以降、「友達とのレジャー」とか以外で銭湯に行ったことは一度もありません。
おそらくは、戦時中にイモやカボチャばかり食わされた人が戦後それらを一切口にしなくなったのと同じ心理だと思います。

とはいえ、さっきも言ったように精神面でのデトックス効果は間違いなくあるんですよ銭湯には。
だからBBTクローン再生計画においてもエリア内に1軒は存在しといてもらいたい(2軒あったらかち合って共倒れしそうなんで1軒でいいです)。
もしも私が過去のトラウマから脱することが出来たら、またちょくちょく行ってみたいと思ってます。

画題「あァ~の支配か・ら・の・卒業ォ~」

銭湯


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