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【コロナ禍を追い風に】「中継点」が「ゴール」に変わる「変革期」が到来!

「敵を知り己を知れば百戦殆うからず(=彼を知り己おのれを知れば百戦殆うからず)」
これは紀元前500年頃の中国で書かれたとされる兵法書〈孫子(そんし)〉の一節だといいます。
ザックリ言うなら「敵方と自分方、双方の力を熟知したうえで戦略を練れば戦に負ける恐れはない」という意味です。

現状における「敵」とはやはり「コロナ」でありますが、流行当初からかなりの時間が経って相手の正体がだいぶ掴めてきた感じ。
とりあえず「ここにさえ気をつければ動いても良し」というポイントが徐々に定まり始めてきています。

何も分からなかった頃は「家にこもって動かない」という基本中の基本戦法のみで戦ってきたわけですが、感染拡大要因は「動くこと」ではなく、どうやら「気をつけないで動く面々」であるようだ、という新認識もだいぶ広まりました。
海外には「感染者が爆発的に増え、再度のロックダウンを検討中」みたいな国もありますが、そういうところはたいてい「規制が緩んだ途端にノーガードで騒ぎまくった」みたいな状況なわけで、ぶっちゃけ「……そりゃそうなるだろうなぁ~」と納得できちゃう感じです。

理屈的には「三密(=密閉・密集・密接)」にさえ十分な注意を払っていれば、遊びに行っても、旅行に出かけても、外食しても、他人と会って「なんら構わない」のです。
ただ、人間というのは「楽しくなった時」にはどうしても「気が緩む」ように出来ています。
常日頃「自制/自粛」をしている反動もあって、遊びに行くと以前よりもハメを外してしまうような人も少なからずいたりする。
結果、「ホラ見ろ、遊びに行ったりするもんだから感染したんだ」と後ろ指さされ、「楽しむこと=悪いこと」になってしまったりします。

ピアノ

気の毒な業種が「酒場」で、お酒というのは「日常の縛りから人をしばし解き放ってくれる魔法の液体」なんで、現在のような「三密必須時代」には扱いが非常に難しくなってしまう。
そんなわけで本当にお気の毒なんですけど、現時点でのベストな飲酒スタイル「家での独り飲み」であり、「酒屋さん」は問題なく営業できても「酒場」には冬の時代が到来しています。

「流行が始まった当初、いち早く先を見越して居酒屋を定食屋に商売替えした」というエスパー級の勘を持った凄腕経営者もいましたが(テレビニュースで観て、その思い切りの良さに感心しました)、そんなスゴイ人はやっぱりごく例外でしょう。
たいていのオーナーさんは「しばらく耐えれば元に戻るはず」と考えて待ち続けることにして……結果「少なからぬ店が閉店に追いやられた」のです。

閉店こそしなかったものの「これ以上耐え続けるのは命とりになる」経営方針を改めるところも増えてきました。
外食チェーン大手の「ワタミ」が10月初旬、グループの主幹事業をこれまでの「居酒屋」から「焼肉店」へと転換すると発表したのが象徴的な出来事です(焼き肉店舗は換気性能/空気循環に優れているのだそうです)。

とはいえ、です。
「家での独り飲みが最も安全」なのは百も承知していても「やっぱり『店飲み』がしたい」と願う人は相当数いるでしょうし、「店を続ける間は最後まで『酒場』であり続けたい」と希望するオーナーさんだって少なくないと思う。
となると「三密にならない酒場の営業スタイル」を考える必要があります。

私が考える「ベストな酒場」「広い野外スペースの真ん中に『屋台/キッチンカー』が置かれ、その周囲に小さなテーブル席が点在している」というものです(ビアガーデンぽい感じをイメージしてください)。
テーブル席はアクリル板で仕切られていて、対面した客同士の飛沫感染も予防できるようになっています。
酒や料理のオーダーは客席の端末から厨房へと通信で伝えられ、出来上がったら連絡が来て客が受け取りに行く。
店と客の接触は「受け渡し時の一瞬だけ」なので、そこでの感染リスクは限りなく低いのです。
泥酔して入店ルールが守れないようなお客に対しては、店側が即座に退店を要求することができます。

野外だから「密閉」の心配はなく、「広いスペースに客席が点在している」状況なので「密集」にもならず、客同士も「アクリル板で隔てられている」ので「密接」も起こらない。
これならば、少なくとも「理論的には」誰からも文句を言われないはずです(まぁ「感情論」での難癖はあるでしょうが)。

ただし、この業態は大都市圏では実現困難。
地代の高い大都市圏では狭い商業地に建物が密集していて「広大な野外スペース」なんか確保できないでしょうし、たとえ確保できたとしても「レンタル料が高くて個人店ではとうてい借りられない」ですから。

こう考えると、大都市圏から外れた「土地の余りがある街」がこれからは強いのです。
下の画像は静岡県沼津市「狩野川土手のテラス」ですが、ここを「ベストな酒場」として使えたらサイコーだと思いませんか?
夏場にこんなところで飲めたらさぞ気分イイでしょうねぇ~。

狩野川

「土地の余り」は「街の余白」と言い換えてもいいですが、これまでは「有効活用できなかった無駄スペース」と蔑まれ、厄介者扱いされがちでした。
しかしWithコロナ時代においては一気に汚名返上、「三密回避のための奥の手」として脚光を浴びる存在となったのです。

たとえば過疎化の進むローカルには「街のお荷物」扱いされてる「さびれた商店街のろくに人のいない通り」みたいなのがつきものですよね。
そういうのがある地域では、寂しい通りにテーブルセットを置いて、商店街で店を構えるご飯屋さんや酒場の「共有野外ホール」にすればいいんです。
お店は「厨房&メニューの受け渡し場所」のみに徹し、ホール(客席)機能店外(商店街の通り)に移植するわけですね。

飲食店があまりバラエティに富んでいない地域だったら、欠けているジャンルのメニューを提供できる屋台キッチンカー外部から呼び込んでもいい。

ちょっと話が横道にそれますが、屋台やキッチンカーというのは、これまでは「正式な店舗を構える」という「ゴール」に到達する途中の「中継地点」という扱いでした。
ホールを持たず「メニューの提供」しかできないそれらの店の大半は「早く広いホールのある店舗を構えたいなぁ……」と考えていたと思います。

しかし三密が「絶対的な御法度」になり「密閉状態を生みやすいホールスペース」が問題視されるようになると、「ホールスペースを持たない」という屋台/キッチンカーの「弱み」だった部分が180度転換して「強み」に転じたのです。

「広いホールを持った飲食店」はこれまでずっと「強者/勝者」とされてきましたが、密防止のため「定員いっぱいの客入れが不可能となった」現在では「ホールの広さが経営の足を引っ張る」ようになりました。
ホールが広ければ広いほど家賃が高くなり、たいして客入れできない状態でそこを稼働させれば採算のとれない空調費が出ていく一方ですから。
東京で私がよく行っていた某居酒屋チェーンの一店は「数百人収容可能な大バコ」でしたが、「この状態でまだ維持できているんだろうか?」と他人事ながら心配になります。

「フレキシブルに対応できるビジネスが一番強い」というのが昔からの私の持論なんですが、いみじくも現在はそれが立証されているような状況です。
「大規模な設備投資を既にしてしまっていて、今さらの業態転換は難しい」というお店がたぶん大半だろうとは思うのですが、「現状のままでは遠からず息絶えてしまうのが目に見えている」ような場合には、やはり早急に何らかの手を打つ必要があるでしょう。

自分の力だけでそれが困難なお店には行政周囲の人々の一定レベルの助力が必要となるでしょうが、それくらいはやってあげましょうよ!?
でないと「自力で変われない店」が死に絶えて、ただでさえ寂しかった地域は絶望的に寂れてしまいます。
そうなると行政や周囲の人々だって困るようになるんですよ!?
「情けは人のためならず」です。

話を「ベストな酒場」に戻しますが、これを実現するには自治体が様々な「規制緩和」に踏み切る必要があります。
歩道だったり広場だったり公園だったりを「商業活動の場」として使えるようにするわけですが、行政を取り仕切る人たちの頭が固い(ぶっちゃけ「古い」)場合には難航するのは想像に難くない。
とはいえ「そのハードルを越えられるか否か」地域の行く末を決定づけるわけですからね、菅新政権のウリじゃないですが「旧態打破/改革断行」にアクセルを踏み込める勇気を持って欲しいと思います。

下の画像は、私の故郷である静岡市の駅前商店街の様子ですが、このような野外テラス期間限定で試験運用中です。
真夏や真冬にはキツそうですが、こういうのがもっと増えて欲しいなァ。

ハニカム

自分の移住地(静岡県沼津市)がもしも「野外酒場」を開けるくらいにサバけた自治体だったら、私も屋台営業でもしてみたいと思ってます。
沼津駅前の商店街にはすでにこのようなテーブル席が置かれてましたが、もう一歩進めてこれを「ビジネス利用」できるようにしてほしいところです。

仲見世

しつこいようですが、「フレキシブルなビジネス業態」こそが「Withコロナ時代を生き抜くための必須要素」なんですよ。
なんたって今は「中継地点」だったものが「ゴール」に変わるような激動・激変の時代ですからね、みなさん、臆せず「変わる」勇気を持ちましょう!

【おわり】

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