16年

はじめに

サッカーは6歳からはじめました。
今週でその現役サッカー人生に一旦幕を下ろします。
振り返るほど栄光は掴んでないし、死ぬ気で頑張ってこれたって胸張って正直言えへんし、「一丁前に振り返んなよ。」って感じは百、いや、千、いや、万も承知ですが暫くお付き合い下さい。


桔梗

昨年まで指導者を夢としていたそのきっかけになった小泉コーチと過ごした4〜6年生。
気づいた頃には陸斗、拓万はスーパースターやった中、小泉コーチは自分達と全く同等の立ち位置を彼らに立たせてプレーさせた。
でも、僕は、それでも「あいつらが活躍すれば良い」と彼らが気持ちよくプレー出来るには自分はどんなプレーをするべきか考えて動いてた。全く苦じゃなかった。彼らが活躍するのが嬉しかったしそうあるべきだと思っていた。
それがコーチから言われた「最高の汗かき選手」という言葉。
(実際の汗こそかかなかったが)皆より少しでもたくさん見えない所で動いて味方をお膳立てするのが心地良かった。
そして、それを評価してくれたのが何よりも嬉しかった。
来年からの仕事でも「裏方」「影の立役者」にはうってつけの仕事だし、この経験が原点である。



テコス

キャプテンとして初めて重圧とか責任とかを先頭で感じたテコス。
上記でも述べたが「影で立てる」事に自信と誇りがあった分、コーチにキャプテンを指名された時は本気で嫌だった。そらでいいやんって本気で思った。
めちゃくちゃ悩んだ。
ただ、中学になってチームだけじゃなくて、学校のクラスでも、自分がまとめたり、引っ張っていく機会を任される回数が増えて、それが意外と刺激的であり楽しかった。
また、「そらがやらんねやったら俺しかおらんくない?」とも思いはじめ、次第に責任感や自覚を持てたこともあり当時の僕にとっては最大の挑戦であるキャプテンを請け負った。
結果こそ出せなかったけど、この先頭に立つという経験は僕の人生の中で本当に大きな自信や行動の変化をもたらしてくれた。そらから受けた影響も大きい。



上高

やっぱり1番悔いが残ったのがこの3年間。
初めて、陸斗、拓万、そらなど圧倒的な輝きを放つ選手達が居ないチームに入ってみて、自分個人としては全く能力もないくせに上手いフリをしてた。
実は周りは自分より全然いい選手ばかりだった。
2年の後半くらいまでほとんどトップチームのピッチでプレーすら出来なかった。
でもまだ気づいていなかった。「おれの方ができるのになんで使わへんねん。」なんて思ってた。
最後の1年はずっとピッチに立ってたけど、立ったら立ったで、引っ張る事もせず、なあなあでプレーしていた。
チーム全体でもそういう雰囲気が流れてた。
僕も流していた。
今思うと本当にもったいなかったなと思う。
県の頂点を本気で狙えるチームだっただけに。「胸張ってサッカー人生を終わらせたい」と大学でもサッカーをする決断をした。

画像3


東学

自分より1歩も2歩も先のレベルにいるやつらとプレーでき、自分が感じれる最高到達点までいけた大学サッカー。
また、2年からは原点ともいえる「誰かを裏で立てる」というそれそのものである東海学生サッカー連盟も経験した。
そして何より、陸斗の最後の試合に出場出来たこと。
もう、サッカーに対して未練など1ミリもないほど充実できた。



16年間、何もかもサッカーから、サッカーによって出会った人から、影響を受けてここまで成長できた。
当たり前過ぎるけど、人生からサッカーをとったらほとんどの人と出会ってない。
感謝してもしきれないというか、なんかそうゆう次元じゃなくて、サッカーがなかった自分の人生が全く想像できない。



大学3年の時、チラッと「サッカー人生の終わり」が近づいて来てる事を感じてからは、何かサッカーに恩返しがしたいって感情になった。

だから今、頑張って色々動いてます。

選手としては今週でラスト。
学生連盟はあと2ヶ月。

最後の最後に出来る限りの恩返しが出来るよう頑張ります。

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