士師記を学ぼう②
士師記6-8章(士師ギデオン)
ヨシュアの時代を知らない次の世代になると、彼らは、イスラエルの主である神さまを忘れ、カナン人のようになり、他の神々を拝んで、自分たちの神さまの怒りを買います。
神さまは、彼らを懲らしめるために周囲の敵に彼らを征服させます。その苦しみによって彼らが自分たちの過ちを認め、自分たちの主である神さまに悔い改めると、神さまは敵を倒して民を救う士師(さばきつかさ)を立て、その時代は平和になります。しかし平和が続くと民たちは再び神さまを忘れ、他の神々を拝むようになり、同じことを繰り返すことをお話ししました。
今日は、その繰り返しの中で、立てられた1人の士師、ギデオンについて見ていきます。
1.勇者ではなかったギデオン
ギデオンは、先週みた士師、オテニエル、エホデ、シャムガルまた、女預言者デボラを助けたバラクのような勇者ではありませんでした。
ギデオンは、神さまがイスラエルの民の懲らしめのために立てたミデアンびとを恐れて、酒ぶねのなかで麦を打っているような人物でした。しかし、神さまはそんなギデオンをこのあと丁寧に導かれます。
13節で「ギデオンは言った。」とあり
14節「主はふり向いて彼に言われた、」主とは神さまのことです
15節「ギデオンは主に言った、」
16節「主は言われた、」
17節「ギデオンはまた主に言った、」
18節「主は言われた、」
このようにギデオンと神さまの会話が続いていきます。このあとしるしを求めるギデオンにも神さまは応えています。さらに36節以降でも2回続けてしるしを求めたギデオンでしたが、それにも神さまはしるしをもって応えられています。
本来、聖書は神さまを試みてはならないと言っています。
マッサでの出来事というのは、エジプトから逃れたイスラエルの民が、「飲み水がない」とモーセと争い神さまを試みた場所でした。その時のイスラエルの民たちは、神さまを恐れ、信じて従おうとする心は全くありませんでした。
ギデオンはどうだったでしょうか。ギデオンには、約束のしるしが確認できさえすれば、神さまが言われたとおりに従おうとする心、神さまを恐れる心がありました。神さまは人の心を見られるお方です。そのギデオンの心を喜ばれ、ギデオンの要求に応えられたのです。
ギデオンのその心は、1度目のしるしを見た後に、神さまの言われたとおりに自分の父のバアルの祭壇を破壊し、主のための祭壇を築いているところにも表れています。
神さまは、神さまを恐れ、「神さまを信じて従っていきたい」と心から思う者に対して丁寧に導いてくださるお方であることが分かります。
2.忠実に従ったギデオン
神さまは、ギデオンに言われた、《「あなたと共におる民はあまりに多い。ゆえにわたしは彼らの手にミデアンびとをわたさない。」》
この理由は、《『自分たちの手で自分を救った』》とイスラエルの民たちを誇らせないためであり、神さまは少ない人数による勝利で神さまの栄光を現そうとされたからです。
ギデオンは、三万二千のうち、戦いに恐れを持つ者を帰し、残った一万人のうち、水飲み場で、手を口にあてて水を舐めた、いつでもたたかえる姿勢をくずさなかった300人だけを残しました。
8章をみると敵のミデアンの兵士の数は13万5千人だったことが分かります。とすれば、3万2千人でも少ないのにそれよりも減らせという神さまのご命令に従うのは、簡単ではなかったでしょう。しかし、ギデオンは神さまに忠実に従い、300人で戦う選択をしました。
このあと、ギデオンは神さまの言われるとおりに、敵陣へ偵察に行き、神さまが敵の軍勢を自分たちの手に渡されたことを知って勇気を得ます。
そして、神さまが言われた、つぼとたいまつとラッパで相手を威嚇するという奇抜な戦法に従って、勝利を得ます。
神さまに忠実に従うものを大きく用いられるということが教えられています。
《「…わたしの氏族はマナセのうちで最も弱いものです。わたしはまたわたしの父の家族のうちで最も小さいものです」》と言っていたギデオンを士師というリーダーとして用い、また、わずか300人で13万5千人に勝利をあたえたのです。
これが神さまの原則です。神さまは、取るに足りないようの者をであっても、神さまに忠実に従うことで、大きく用いてくださいます。逆にどんなに優れた力を持っていても、高ぶって神さまに背を向け、自分に頼りすぎる者は、低くされるのです。
3.自分で正しいと思うことをしたギデオン
8章の後半ではイスラエルを勝利に導いたギデオンのその後が記されています。
イスラエルの人々は、ギデオンを王にたてようとしますが、それをきっぱりと断わります。なぜなら、イスラエルの真の王は神さまであることをよく理解していたからです。実にギデオンのすばらしいところです。
しかし、ギデオンのそうでない部分も聖書は隠さずに記しています。
ギデオンは物質的な面と性的な面において弱さがあったようです。多くの妻がおり、彼から生まれた子どもだけでも70人いました。その子供たちを養うためでしょうか、戦利品を自分のものにします。
そして何よりも8章27節にあるように、祭司だけがつけるエポデを勝手につくり、イスラエルの民を偶像礼拝に導く門を開いてしまいました。
6章で神さまとギデオンが直接語っていたやり取りも、この8章では、また、神さまへの祈りも記されていません。ギデオンが自分の思いで、自分の経験と知恵で自分の正しいと思うことをした結果が、民への偶像礼拝の入り口を開くことになったのです。
人が神さまから離れて歩むとき、人はどうしても自分本位となり悪に傾き罪を重ねる歩みにむかいます。
士師記は、このような警告を与えている書です。