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人生を変えた映画「恋する惑星」(1) 〜分かりにくい 映画が好きだと 言いたくて〜

肥大した自意識により、何者かになったかのような錯覚をしながら、誰かにインタビューを受けているかのように妄想し、「ねすぎさんの人生を変えた映画は何ですか?」と、黒字のバックに白字の字幕が出たところで「ポォーン」と音が流れる演出で聞かれたならば、高校生の頃に見た、王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の「恋する惑星」を挙げたいと思う。

まことに「残念(©️千原ジュニア)」な経験が積み重なった結果、鬱屈した青春の多感な時期に、レンタルビデオ屋に通いつめて映画を見ていくうち、海外の国際映画祭の受賞作品には、名作が多いということが段々と分かってきた。(受賞作品ではなく「●●映画祭 正式出品作品」は、VHSのビデオの裏側に、映画祭のロゴは付いているものの、面白いとは限らない、ということも同時に分かってきた…。)特にフランスのカンヌ映画祭で賞をとった作品は、圧倒的に面白い、と感じるようになった。

従姉妹の家で、夏休みに見た巨大なレーザーディスク(!)の「インディ・ジョーンズ」と「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に夢中になったのが、小学校3、4年生くらいの頃。ハリソンフォードも、マイケルJフォックスも、主人公はひたすらに格好良く、「これぞアメリカ!」と思うような映画ばかりだった。インディジョーンズの、世界中を巡るかのような場面の転換は見応えがあり、ハラハラするシーンが常に続く。主人公が高いところからしょっちゅう落ちそうになったり、巨大な石がゴロゴロ転がってきたりするところを必死に逃げたりするようなシーンが多く、非常に面白かったのだが、そういう映画とはまるで違うのが「カンヌ映画祭」で賞を取った作品だった。独特のロゴマークに囲まれた、カンヌ映画祭受賞作品は、「映画とはこういうもの」と思っていた概念を覆すような、驚きに満ちた作品が多かった。ストーリーは、若干わかりにくかったり、濃厚な大人のシーンがあることも多いし、映画によっては、猟奇的なシーンもあったりする。巨大な石が落ちてくるような凝った特殊効果を使うような映画は少なく、淡々とした展開のものが多くて、映画によってはトータルの時間が、やけに長く、時間軸の変化も独特だったりする(ゆえにたいてい、とても眠くなる)。見る側を試されているような、一筋縄ではいかない映画が多かったと思う。なにぶん、高校時代は、卒業後は事務処理能力と、忍耐力と、日本社会の理不尽さに諦念する力、従順な心、自分の立場を有利なものにするためには、必要がないと判断したことをばっさりと切り落とすスキルを育む面以外、何一つ役に立たなかった(意外と役に立ってるのかも?)とつくづく思う暗記中心の受験勉強に追われる日々を送っていたので、そんなに多くの作品を見ていたわけでも無かったが、今にしてGoogle先生の力を借りて調べてみれば、自分が高校生の頃は、まさに東京でミニシアターと呼ばれる映画館が人気を博し、関係者が次々に世界中の映画を発掘していた時期なのだった。

今やサブスクリプションが普通になり、Netflixでも、Amazon Primeでも、あらゆる映画が見られるが、当時のVHSレンタルビデオの良いところは、なんとしても延滞料金がつかないよう、期間中に返さなければいけないので、借りたからには、必死に最後まで見たことだったと今にして思う…。閉塞感の強い地方都市に住みながらも、そういう映画を見る機会があったことは、幸運だったと思う。

14インチのテレビは、東京から遠く離れた川沿いの、ある日近くの棟のベランダが落ちたことが衝撃的な事件だった団地の一室(ベランダから何かが落ちたのではない、ベランダそのものが落ちたのだ)と、フランスの映画祭に関わる、世界中の目利きたちが選んでくれた芸術的な映像作品を、特に裕福ではなく、私服が親の知り合いの誰かからもらった、時代のトレンドから大幅にズレた2着の服しかなくて、横浜市に住むイキった一つ年上の、目が大きな従兄弟に散々にダサいと小馬鹿にされていた学生でも(←私)払える、たった数百円分の硬貨で世界を繋いでくれた、窓のような存在だった。

カンヌ映画祭で賞を取った作品は、「こんな芸術的な映画の面白さをわかっている、そんな自分は他の人とちょっと違う。昼間の(授業を眠りこけている)自分とは、ちょっと違う」という、行き場もなく肥大化した自意識を存分に刺激してくれる映画が多かったように思う。当時の唯一の映画情報は、淀川長治さんのランキング本だったが、それ以外に、土曜日の深夜にテレビ東京で放送される「シネマ通信」を熱心に見ていた。

その中でも特に印象に残っているのは、香港の映画監督王家衛(ウォンカーウァイ)による「恋する惑星」である。

当時、最も衝撃を受けたのは、映画の冒頭の金城武の台詞だった。「自分を振った彼女が、山口百恵に似ていたのだが、三浦友和に似ていなかった僕はその彼女にフラれた」というような台詞だったと思うのだが、誰もが知っている存在のように日本の「山口百恵」という名前が、中国語(正確には香港で日常的に使われる広東語の台詞なので、大陸で使われている中国語ではないのだが、当時はその区別はよくわからなかった)出てくることに衝撃を受けたのだった。

また、当時は金城武がその後日本のテレビドラマに出演するとは思っていない時代で、誰だか全くわからないが、どこからどう見ても日本人に見える、そんな金城武の存在感に圧倒された。独特のカメラワークで映し出される金城武が、英語と日本語と中国語を駆使して金髪の女性に話しかけるシーンの衝撃。この人は一体何人なのだろう…!?と、本当に驚いた。

(その2に続く)

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