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女子と学歴(11) 〜中学も高校も女子や男子しかいないって・・・ヤバくない?〜

東京の名門校「御三家」についての、出身者と私の間に落ちた緞帳(どんちょう)に関する拙記事(https://note.com/nesugi/n/n6540f867c313)が、思いのほか、アクセスをのばしている。

「名門男子校」「名門女子校」出身の(一部の)人々には共通した問題点があると感じている。彼らは、自分達を優秀な存在だと強く強く錯覚してしまい、非常に狭量な価値観を根強く内面化していて、その狭量さは倍率の高い受験勉強を勝ち抜いた「地頭の良さ」を遥かに凌駕する醜悪さであると感じる(誰をイメージしているのか?)。また、男子校出身者の場合は、多感過ぎる時期に男性しかいなかった環境に身を置いたゆえか、本人の外見および人間的な魅力がどれほどのものなのかという視点はどこかに棚上げし、おきざりにしたままに、異性に対してのジャッジが厳しくなりすぎるように思う。特に、異性の外見については非常に厳しいと感じる。(これは共学出身の人でも、そういう人もいることとは思うが…)

また、女性を対等な存在として見ることが非常に難しそうで、男女の役割分担にあまり疑問を持っていなさそうな人が多い。逆に、女子校出身者の場合は、「女子力」を高めねばと異様に肩に力がはいってしまっているような感じがある。「女子力が低く、ダサく、勉強しかできない女子ではいけないノダ!」という強い強い呪縛があるのだろう。これは多くの名門校出身者の母親が専業主婦であり、料理なども体に良いものを手作りでおつくりになられ、手を抜かずにしっかりとお育てになった、というようなことや、あるいはバリキャリ(死語?)な母親なのに料理も絶対に手を抜かなかったスーパーママ、みたいな人だったりしたことに起因していると思う(実に浅い分析である)。ただし、どんな環境でも、例外的な存在はおり、劣悪な英語教育環境にある日本で生まれ育ったのに、なぜか英語がペラペラなDJ小林克也さんのような人もいるし、私がこよなく愛する女性の芸人である、野沢直子氏の娘さんが母親とは似ても似つかぬ、アメリカ生まれアメリカ育ちの格闘家だったりするので、男子校でも女子校でもいい人もいるし、親がどんな人であろうとも良い人もそうでもない人もいるし、いろんな人はいるとは思うのだが・・・。

また、これは男女双方に言えることなのだが、名門校★過ぎる学校出身の人々には、共通した問題があるように感じている。それは、人間関係において、「どっちが上か下か」のヒエラルキー意識を強く持ちすぎているのではないか、ということと、人と接する際に「自分にとってその人間と接することが有益かどうか」という価値判断でジャッジし過ぎる傾向があること、また、「地方都市」を東京(あるいは神奈川県などのシティ)と比較した際に、「低いもの」とみなし過ぎている、ということがある。若き頃からまるでサラリーマン社会のような強い強いピラミッド意識、階級意識がそこにはある。

なんの影響力もない地方出身の立場から言わせてもらうが、地方の人間はそれでも人生のほとんどをその地方都市で生きて今があるのだ。生まれた瞬間からそこで生きている。親族や友人たちもそこにいる。墓もある。自虐的に自分達の生まれたところを低く言ったりすることはあるが(特に自分は故郷が嫌いだったので自分から真っ逆さまに自虐に向かっていた)そこに住む人々を全て、十ぱ一絡げに、小馬鹿にされる筋合いはない。「名門校」などというものの、試験に一度受かったというだけの経歴や人脈だけで、人生を「勝った」などと勘違いしている、そんな狭量な価値観の人間たちに、見下される筋合いはない。そこには巨大なイオンモールに毎日足を運ばざるを得ない、自分の人生を支えてくれた大事な人々の人生があるのだ。

しかしながら、自分の子供が、今後、受験を経験し、御三家なるもの、またそれに類する学校に受かったならば、心から大喜びするだろう。「ドラえもん電報」を打ち、全く稼働していないサークルのメーリングリストに「子供が御三家★合格しました!」などと送りまくってしまうかもしれない。そんなものである。




 


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