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写真には葛藤は何もうつらない…あなたのせいで…できなかったのに…。

妊娠したことが判明して、職場でそのことを告げた時の思い出である。

「ねすぎが母になるなんて。子育てなんて、ほんとにお前にできるのか?」

ずっとパワハラをしてきた体育会系の、有名私大のアメフト部出身であることを生涯のプライドとしていたらしい、デスクに出身大学名の入ったガラスのボールの形の置物を常に置いている上司は、にやりと笑って、そう言った。

私は絶句した。あなたのせいで心身ともに体調が悪くなったから、子供を産みたいと長いこと思えなかったのに。

彼は、こんなことも言った。

「ねすぎさん、ずっと賃貸に住んでるの?ローン組むなら、早いほうがいいと思うけどなぁ」

あなたが長期にわたるパワハラをしてきたせいで、仕事を続けられるか不安だったから、家を買いたいなんて、思えなかったのに。

彼が定年退職することになった時に開かれた飲み会での集合写真が残っている。全員満面の笑顔でうつっている。目が、涙目の人もいる。私はええいああと嬉し泣きをしていた(心で)。花束を持って微笑んでいるパワハラ上司。そこには、私の葛藤もストレスも、一切うつっていなかった。和気あいあいとした雰囲気に見える。

何年も子供がいない共働きの私と夫を心配して、早く孫の顔が見たいというニュアンスをこめた表現で、義母はこんなことを言った。

「ねすぎちゃん、仕事なんて…そんなに頑張らなくていいのよ…。」

頑張らなかったら、家賃が払えない。これまで必死に耐えてきた仕事を簡単に辞めるように言わないでほしい。東京の生活費の高さを、甘く見ないでほしい。

当時、ずっと子供がいないことを心配していた義母と一緒に行った野球観戦。満面の笑顔で、義母が長年応援しているチームのマスコットキャラクターと一緒にうつる私にも、義母の表情にも、その時の、重たい想いはうつっていない。飲むと良いわよ、と言って、頼んでも無いのに成城石井のザクロジュースを送ってきた義母。一本1,000円もするジュース。義母は、ウエストポーチをつけこなしていた。

母親はたまに、たくさんの子供達がうつる、親戚からの年賀状を見て、深々と、ため息をついていた。

「〇〇(親戚の名前)は、孫が○人目だって…いいなァ〜」

年賀状の写真にうつる親戚と、たくさんの孫たちとお母さんの笑顔。海辺でみんなでジャンプする写真。こんなにたくさん子どもたちがいたら、お母さんは毎日とても大変だろうけど、その大変さは、年賀状の写真には、うつっていない。

そもそも、子供を持つことに、こんなに悩んできたのは、大したこともないことで怒鳴って不機嫌になる上から目線の父と、癇癪持ちの母が怖くて、外見至上主義の兄に、傷つけられたせいなのに。

子供が生まれたとたん、全てが、何もなかったことになった。

孫を見るやいなや、待ち合わせた駅の改札口で、でっかい一眼レフカメラのシャッターを切った父。パパラッチかと思った。パパラッチならぬ、祖父ラッチ。今や、孫に会いにきた両親は、しあわせに満ち満ちた顔をしている。

両親と一緒にいる時間は、”年3回、1回、2時間まで”と決めている。2時間までは楽しく過ごせるのだが、それ以上一緒にいると、口論になることが多いからだ。無理をして両親を楽しませようとする自分に疲れ切ってしまう。自分の感じた違和感を、どんなに伝えても、一切、何も無かったことにするその姿に、耐えられなくなる。両親が孫を溺愛する様子も、2時間以上経つと微笑ましさが変化して、苦痛に感じられてくる。

孫に会わせないなんて、かわいそうよ。
時間が、解決するわよ。
お母さんだって、お父さんだって、きっと、悪気はなかったのよ。

脳内にはいつも、孫を積極的に親に会わせない私を責める、誰かの声が聞こえてくる。長年生まれてこなかった孫が生まれたとたん、親と距離を置こうとする娘を肯定してくる人は、まずいない。距離を置くことを全力で肯定してくれたのは、当時カウンセリングを受けていた、親子問題の第一人者の先生だけだった。

出産後、隙あらば、私の領域に侵入してくる母の行動を制限しなければいけないと、切実に思った。そのため、妊娠の報告も、かなり時間が経ってから行った。産後に、実家には、帰らなかった。本当はとても心細くて、頼りたかった。生まれた直後に病院に来てもらった以降は、しばらく関わらないことを徹底した。夫とも相談して、本格的に両親と距離を置くことにした。

ここで母親に頼ってしまったら、また同じことが繰り返されてしまう。母親が、わたしの子供の世界に侵入して、取り憑いてしまう。母が母の友人たちに、孫の成長を、生涯に渡り、ひけらかすようになる。

下手をすると、子供の保育園の行事や小学校の授業参観などにも、黙ってするっと入り込んでくる恐れがある。子供の頃の私は、母の侵入に対して、何も出来なかったが、私の子供に対しては、それを許すわけにはいかない。

保育園や小学校では、コロナ禍によって、強制的に参加者の人数制限をしてくれるようになり、それはとてもありがたかった。

こちらは、有料サービスに変えさせようと必死の媒体並みに、母が近づかないように、制限をかけている。母は、気づいていないわけではないはずだが、こちらの決死の決意を、一切なかったことにしている。そして、決まってこんなことを言う。

「あぁ…もっと〇〇(子供の名前)ちゃんに会いたいなァ…。発表会にも、出たかったなァ…。」

会わせたくないと思わせるような行動をずっととってきたのは、母なのに。

一切、孫に会わせない訳にはいかないと思って、”1回2時間、1年に3日まで"という、初回登録特典のついたクーポンのような制限で、やっと落ち着いたのに。うっかりすると、子供のことを詳細に報告して母を喜ばせようとしてしまう私が、子供が生まれたあとに、親と全力で距離を置こうとすることへの罪悪感に、どれほど悩まされたと思っているのか。

なんで、分かってくれないんだろう。
なんで、自分の影響力に、ここまで無頓着でいられるのだろう。

母の脳内では、私は一人の人間として存在していなかったからかもしれない。母の友人たちに、写真を見せびらかして、自慢をするために、競争の材料のために、私はいたのだ。私の存在は、すべては母を輝かせるためだった。暇すぎた、母の暇を潰すため。男尊女卑な社会から、大切にされなくて、軽んじられてきた母の存在意義をつくるため。

私がどう感じているかは、関係がなかったのだ。今も、ないのだ。

両親が、孫に会いにきた時に必ず撮る集合写真。全員、笑顔だ。晴れやかに破顔している。私の葛藤は、うつらない。母の孤独も狂気も、うつらない。

写真には、過去を無かったことにする、力があるのだった。

(2023.2.18 拙noteが21,000ビューを超えました!
 加筆、修正しました。)


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