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もやもやと

・わたしことあいしてる?(byレイディアントシルバーガン)

 ある所にある人間がいたそいつは「コンテンツを作ったり配信したりする側の人間」だ、そしてそいつはSNSで自分のチャンネルも持っている。

そいつは言った「あーこのコンテンツ欲しいけど定価ではなぁw、どっかのディスカウントショップで売ってないか探すか」と・・・まあ、ここまではどこのSNSでも見る日常であるだろう。そして数日後そいつは「00月00日に私のコンテンツが発売されます、皆さん予約をぜひおねがいします!^-^」的な事をあろうか同じチャンネルで発信したのだ。

私の心が「ぐにゃぁぁ~」と某ギャンブル漫画の様に歪んだ。

「えぇーそれはほんとうなのかい?」(by磯野マスオ)

さて、ここで思うのは「こいつのこの発言はマジなのか?」なのだが、正直クリエイター畑で生きているのであれば悲しい発言である。私はこの発言を見て「この人は本音では他者のコンテンツには敬意を払わない」「これを自己のチャンネルで発信する都言うのを良しと思う考えの持ち主なのだ」と。つまり私とは合わないな、こいつのいう事は基本信じない様にしようと瞬時に判断したのだ。

だが、私がそう思うのは勝手だが!それを自己の仕事のSNSで発信するのはプロと言うならば私は残念だなぁと思うのです。(詳しい理由は割愛)

他人に尊敬されたいのなら、自分自信を敬うがいい。自分自身に敬意を払うことによってのみ、他人はあなたを敬うようになるだろう。(byドフトエフスキー)

対象に愛と敬意を持ちつつ現実と戦う人は少なからずいる。そう君かもしれないし僕かもしれないし、未来にそうなる人もいれば過去にそうだったかもしれないが今はそうじゃない人もいる。こんなのはくるくる変わる万華鏡の様な物なのでその時自分で選んだ「これだ!」と言う人や創作物を信じてみたらいいのではないかな。好きな物に敬意を払う事は褒められるべきことだし自分自身が気分が良い物なんだから。

「自覚を持つ事は良い、自覚を持たせる事はそもそも必要か?」(by無し)

正直これはどうでも良いのではないかとこれを書きながら思ってきた。
好きな物を好きと自覚するのは良い事だし、それをどうでも良いとは言わないが、前述のような相手に無理やり持たせるのはもはやおせっかいでありパワハラでモラハラだと思うんだ、例を挙げれば脊髄反射でなんでも反対するアイツ等とかこいつ等とかだ。
ある種の「文化が違う」人達に無理やり「立ち上がれ!」なんて道路でパンフを配る宗教団体みたいな事をしても言葉と気持ちが通じない上にロックオンされるので今の世の中リスキーでしかない。
そんな人がいるのも人の多様性でありそれをわざわざ自分の中に入れる必要はないのだ。「坊主貴様が憎いけどお前の袈裟のセンスと着こなしは良いのでメモして後でメーカー調べよう」ぐらいで良いのだ。しかしこれはある種の努力がいる事を経験談として伝えますよ。
「手に入る情報とおまけに付いてくる不快感」を秤にかけて、一番最初に出てきたSNSの奴はミュートした。これを書くまで忘れていたぐらいだ。つまりは快適だ。

そして書いている内に主題とオチまで忘れている。あえてつけるなら「自分に必要のない物を無理に我慢して摂取する必要はない」だ。とっぴんぱらりのぷう。

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