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背骨がある文章っていいな【4/26】

ずっと待ってもらっていた個人の仕事がやっと終わりそう(すみませんの気持ちでいっぱい)朝方にまた推敲してから出す。

スープストックトーキョーが先日開始した離乳食提供にたいする反響(炎上とも呼ばれていた)を受けて、公式HPに公開した文章を読んだ。

そもそもなぜ炎上しちゃったんだ……という気持ちなのだが(こんなにポジティブな取り組みまでが炎上してしまうなんて、ますますこの世の未来を憂いでしまうじゃないかよっていう意味で)

スープストックトーキョーの中の人たちの体温のようなものや、なにを自分たちの背骨だと思って大切にしているのかが、洗練された言葉のなかにぎっしり詰まっているのを感じて、ぐううってなった。

こういう、なんというんだろう、企業メッセージのようなある程度言葉に制限がある世界でつづられた言葉が、お決まりのフレーズの羅列になることなく、強い意思を持って書き起こされていることに触れると、言葉にはちゃんと力があるんだよなぁというのをより深々と思い知らされる。

書くことで伝わることがある一方で、書かないことで伝わることもあるよなぁと思った。意思に反することを、意思をもって綴らないことの大切さよ。

(余談だけど、制約のある文章といえば、事実だけを並べているニュース記事とかでも、たまに筆者の強い意思を感じる瞬間がある。そのたびに、感情をそのまま露骨に綿密に書かなくても、ちゃんと伝える方法はあるよなぁと思い知らされて、感情ばっかり書きがちな私はうなっている)

ちなみにスープストックトーキョーのことは前から好き。カレーを出し始めてから特に好き。365日のなかには、思いっきり口をあけて何かをほおばる気力がほとほと残っていないのに、それでもやっぱりからだと心がちゃんと喜ぶようなものが食べたい日があって、そういうとき、スープストックトーキョーに行くと救われるのだ。

味付けがあんまり濃すぎない、でもちゃんと滋味深いところも好き。ごまが混ざっている米も、妙にうまみがあって飲むように食べてしまう(なのでたまに大盛りにしてもらっている)。

つい最近も、もう絶体絶命むりってなったときに、スープストックトーキョーをウーバーイーツして救ってもらったばかりだった。


それから。下記を読みながら、ああ、これはスープだからこそできることでもあるなぁと思った。

その理念のもと、さまざまな理由で食べることへの制約があったり、自由な食事がままならないという方々の助けになれればと「Soup for all!」という食のバリアフリーの取り組みを推進しています。

今後は、病院食や介護食、減塩食、非常食などについても研究や開発を進めていく予定です。

食べるのが好きなので、もし自分にどうしようもない食の制約がうまれたとき、どうやって生きていこうかというのはよく考える。明日急にアレルギーになるかもしれないし。そういうとき、それでも食べられるものがあるといいなと切実に思う。

それにしても、なんとなく選んだアイキャッチが、内容と関係なさすぎてしまった。やきとんはおいしい。



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