見出し画像

田中みな実(敬称略)がおすすめしていると、買う。その仕組みについていま思うこと【6/13】

免許合宿から帰ってきて1年以上が経った。

そして私が田中みな実(敬称略)プロデュースのガードル購入を悩んでからも1年が経った。

田中みな実のガードルとは、これのことである。

今はもう、注文ができなかったり、定価よりもずいぶんと高い値段で売買されていたりする。

1年とちょっと前、私は確かに、免許合宿のさなかでこの田中みな実プロデュースのガードルを買おうかどうかをとても悩んでいた。購入ボタンの手前までは辿りついていたし、友達にLINEで報告した記憶もうっすらある。

だが、田中みな実プロデュースのガードルはいまも私の手元にない。

というか、昨日田中みな実のねっとりした歯磨き粉のCMを見るまで忘れてしまっていたのだ。

おそらく、購買を悩んだ当時の私には脳に入れるべき情報(主に運転に関する知識もろもろ)がたくさんあったので、次から次へと情報が押し寄せてくる間に、いつのまにやら失念してしまっていたのではないかと思う。

あと、免許合宿が延長になり追加費用が発生したため、自分のふところの状況を考えて、今はやめとこうか、となったような記憶もぼんやりある。

いずれにしてもタイミングが良くなかったのだ。

人生において大事なのはタイミング。田中みな実のガードルを手に入れるには、適切なタイミングが必要だったのだ。

そして今はもう、田中みな実のガードルは、手に入れることが難しい商品になってしまった。

ちなみになぜ、田中みな実のガードルを買おうか悩んだのかというと、免許合宿の施設に隣接していたカフェのなかにあった雑誌にのっていた田中みな実のインタビューを読んでいるうちに、「この人がプロデュースしたガードルなら奇跡が起きるかもしれない」という気持ちがうまれたからだ。

端的にいうと心が揺り動かされたのだ。田中みな実という人に。

田中みな実という人の持つ、どこまでも果てしなく続いているようにみえる「この人がやっている美容のためのテクニックならきっと間違いがなさそうだ」と思わせる力はいったいなんなんだろう。

実際のところは、彼女を形成しているもののいちばんは、道具じゃない、テクニックじゃない、彼女本体が持っている探求力であり、努力であり、本人の内側から発せられている、真似のしようのない揺るぎない力であろうに。

そしていま、田中みな実がおすすめしているという入浴剤を買おうかどうか悩んでいる。

今度はたぶん買う気がする。

田中みな実になりたいとは思わない。というかそれは確実に無理と心の底からわかっているので、望むこと自体がとてもバカバカしいことだと考えている。私はどこまでも私であり、田中みな実はどこまでも田中みな実であって、交わる可能性は皆無に限りなく近いのだ。ただ、それとは関係なく、田中みな実が買っているもの、発信しているもの、作り上げているものに対して、理屈では語りきれない信頼のようなものがずっとある。

だからお願いだ。「田中みな実が使っている」という言葉を、世の人のみなさん全員が悪用しない世の中であってほしい。田中みな実がほんとうに使って、よかったと実感したものだけが、田中みな実が推しているものとして、世の中に流通していてほしい。

それが平和な世界への大切な第一歩なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?