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20代のころの日記を、消さなくてよかったなぁと思った日【4/3】

くどうれいんさんの記事がとてもすてきだった。

隅から隅まで全部いいので抜粋しずらいのだけれども、特に、(僭越ながらも)自分ごととして、ああ〜〜!!ってなったのが下記だった。

ブログサイトを構えて書くこともあれば、ワードを開いて書いたり、ツイッターの下書きにとにかく長文で下書き保存しておいたりしている。だから消えたりなくしたりもする。わたしの十年以上の日記はもう一本化して読み直すことはできない。

わたしにとって日記は「日々の記録」ではない。「日々を記録しようと思った自分の記録」だ。

そういえば私も、インターネットにはじめて触れたころから、なにかにつけて日記らしきものをオンライン上に書いてはいたけれど、同じ場所にずっと書いてはいないし、習慣的に書いてもいない。

日記らしきものたちは、楽天ブログ(諸事情により衝動的に閉鎖してしまったのでもうない)、mixi、エキサイトブログ、はてなブログ、WordPress、note、メモ帳などに盛大に散らばっている。

なかには、ラーメンの味玉についてだけ言及しようと思って作ったけど1記事も更新されていないブログもある。

人にまとめて見せたら「ああ、整理整頓がとっても苦手なんですね」って一発で見透かされるようなとっちらかりぶりだ。

でも言われてみれば、20年近くものあいだ、日記を書きたいという気持ちとは、手と手を取り合って生きてきた。行動はしてなくても、気持ちだけはなぜかずっと、そこにあったのだ。くどうさんの記事を読んで、それもまあアリということでいいのかなぁという気持ちになれた。

なので今日も元気よく書くことにした。なお、久々になんか書こう〜って思ったときにnoteを選んだのは、感覚的に操作しやすかったから。CMSとの相性の問題です。

同じような理由でmixiもずっと使い続けていたけど、今後もし老眼になった場合(近い将来必ずなるだろう)、mixiだとちょっと文字が小さいかもしれなくて悩ましい。でもmixiはすき。非公開日記機能が特にすばらしい。


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20代の自分が日記を書いていたことを改めて思い出したついでに、久しぶりにページを見にいった。恥ずかしさはそれ相応にあったものの、30歳になりたてのころの私が「さすがにこれはまずい」と思った記事だけを非公開設定にしてくれていたおかげで、発狂はせずにすんだので、30歳のころの私ありがとう!って思った。

なお、「死ぬまでに何本傘を買えばいいんだろうね?」って言っている記事にいたく共感した。さすが、同じ人間が書いただけのことはある。

ただ、文字の量が今よりも極端に少なくて、その点には驚いた。表現のメイン軸をイラストから文字にかえて久しいけど、それが顕著に出ている。あといまの私が、過去に比べて自虐をしなくなっていることに気がついた。

総合して思ったのだが、どうやら私は過去の日記を読むのがとても好きらしい。それを知ってか知らずか、「消す」という手段にでることなく、とっちらかったままでいろいろを残しておいてくれた人(過去の自分だけど)には心の底から謝辞をのべたい。今後も引き続き消さないでほしい。


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なお、「自分が書いたものを、自分で読むのが好き」というのは、過去の執筆物に限った話じゃない。たぶん書くことのいちばんの理由がそれなのだ。あと、ただ、ひたすらに書きつらねているときに、脳からふぁ〜って何かが出るような気がする瞬間や、自分が思っていたよりもずっと気持ちのいいかたちで言語化できたぞ!って感じる瞬間が好きだから。自己完結型。

そのせいなのか、平均よりも他者評価を気にしていないのかもしれない……と思うときがある。まったく気にしないわけじゃないし、褒められたらしっかり喜ぶけど、周囲を見まわすと周りはもっと自分よりも、もっとちゃんと、自分の声が周囲にどう響いたかを気にかけているようにみえる。

私のように自己満足しがちな人は、最小単位自分だけで幸せを完結できる可能性がある点でとっても平和だけど、競争にはさっぱり向かない。人に褒められたい気持ちをいっぱい持っている人は、伸びしろがあると思う。



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