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上京して20年以上経つが、はじめてパジャマを買った【7/22】

「寝るときには、ちゃんとしたパジャマを着るのがいいんですよ。」

今年のはじめごろ、この言葉を立て続けて3回くらい聞く機会があった。

なんでも、パジャマとは、寝るときの状態をいちばんに考えて最適化された衣服だから、どうやったって寝心地がばつぐんに優れているのだと。寝心地が優れていることは安眠につながっていて、安眠は健やかな毎日につながっていて、だから私たちは、就寝時はパジャマを着たほうがいいらしいのだ。

あまりになめらかな理屈なので、納得感はとてもあった。

だけどその話を聞くたびに、パジャマと名のついた布が一枚も家にない私はどきっとした。

上京してからこのかた、思い返してみると、常に寝巻きは「節約の対象」だったのである。

パジャマを買うための4,000円があるなら飲み屋で4,000円使いたい。そんな刹那に長らくの間、身を委ねてばかりいた。パジャマとは、日中着れなくなった洋服たちの第二の人生だと信じてやまなかったのだ。

中学校や高校で使っていたジャージとか、致命的なレベルのシミをつけてしまったけど捨てるに捨てられないTシャツとか、そういうものたちがたどり着く場所なのである、と。

あまりに信じすぎていたため、人にも布教していた。泊まりにきた人に「なんかパジャマみたいなやつない?」と聞かれたら、必ず中学時代のジャージを差し出して、着させて、「このジャージ、中学の指定ジャージにしてはやけにかっこいいんだよな」と、誇らしさすら感じていた。

だけど最近、妙に寝つきが悪い。

寝つきが悪いと、朝起きたときも、日中仕事しているときも、夜寝る前も、四六時中、うっすらとかなしみがからだに張り付いているみたいだった。満足に寝れないと、起きている時間が楽しくない。

睡眠が、日中の生活にこんなにもダイレクトに影響することに唖然とした。

私は、この悲しみから一刻もはやく逃れたいと強く願った。そこで脳裏にふっと沸いてきたのが、さきのパジャマの話だったのである。

すがるような思いで無印良品に走り、ふわふわしたガーゼ素材で作られたうす桃色のパジャマを買ってみたのが先週のことだ。

これがもう、羽を着ているみたいな着心地で、着た途端から陶酔してしまった。

もちろん寝心地も最高であった。衣服を着ている実感がしっかりあるのに、なにも着ていないときくらい、手足の稼働が自由なのだ。ガーゼの布地は、汗を吸収するのも蒸発させるのもお手のもので、熱帯夜が訪れても頼もしい。

だからある朝、思った。

「ほかの服に着替えたくない。このパジャマをずっと着ていたい。せめてズボンだけでも、履いたまんまでローソンまでの道を歩いてみたい。そうしたらきっと、信じられないくらい快適な気がする」と。

しかし、その願いを叶えるのは、いまの私には禁忌である。

せっかく作るのに成功した睡眠と活動の境界線を守るためにも、パジャマのことはずっと、夜だけの特別なものにしておきたい。

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