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たぶん食べもの

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即興の散文。食べもののことを書きがちだけど、食べもののことがまったく書かれていないときもあります。
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#日記

ああ、運転したいと1日に数回考えている【8/2】

免許を取ってから1年以上が経った。 免許取得以降、クルマを運転したのは、種子島に行ったときと石垣島に行ったときの2回のみ。いずれも離島である。 離島での運転のいいところはまず、東京と比較すると、圧倒的にクルマの台数が少ないことだ。「いま、この道走ってるの自分しかいない……?」って瞬間がたくさんある。 で、景色がいい。緑の山の奥のほうに透明な海の色がチラ見えしたときのしてやったり感というのか、うわぁ見ちゃったぞ的な気持ちの溢れ方……というか、もっといい言葉選びはないのかな

野菜の焼き浸しの間違いなさがこわい【7/21】

夏がまっさかりのTwitterには、焼いたり揚げたりした野菜たちが汁に浸された食べものがとてもおいしい、という情報が流れがちな気がする。 ここ数年の傾向な気がしているのだが、今年ついにその波にのった。 ズッキーニやパプリカ、にんにく、ピーマンなどを多めの油でしっかり焼いて、焼き目をつけて、めんつゆとカンタン酢でつくった汁に浸し、冷蔵庫にぼんって放り込んだのだ。 いや、厳密には放り込んではいない。 むしろ両手でしっかり保存容器を抱えて、落とさないように気をつけながらスッ

調理はフィジカル【6/30】

完熟梅が2キロと青梅が1キロ。 届いていたのであわてて梅仕事を一気にした。 その結果、軽い筋肉痛がちらほら。料理はフィジカルな要素が多い行為だなぁとあらためて思う。 梅仕事をするようになって数年経つのだが、今年は特に「梅を割って種をとる」作業が多めだったため、そこそこ力仕事になった。 特に青梅はなかなか身をひらこうとしないので(そこが青梅のかわいいところなんだけど)力いっぱい開いた。 その作業をしながらネトフリの「離婚しようよ」を観ていたらいつのまにか結末まで見終わ

11時開店のサイゼリヤに10時30分より前に並んでいる人を見かけた【6/29】

木曜は午前10時30分までに出社する日だ。 いつもギリギリだが、今日はぎりぎりじゃない。 時間にちょっと余裕がある!(わーい) そう思いながら会社に向かっている途中、サイゼリヤの前に並んでいる中高年女性を見かけた。 サイゼリヤのオープンは午前11時である。 ざっくり、あと30分以上は開かない。 ちなみにサイゼリヤの席数には余裕があり、行列のできる店というわけではまったくない。 つまりだいぶ気が早い行動だ。 夏休みの宿題を8月1日までに完成させているような優秀さ

氷結無糖を飲みながら書くと、こうなるという見本【6/27】

風呂というものが長らくめっちゃ得意じゃない。 とはいえ厳密にいうと、風呂に入るまでの時間が得意じゃないだけである。入ったら入ったであっさりと「風呂って最高!」等々とても軽率に言いまくりがちなくせ、風呂に入るその寸前までは風呂が得意じゃない。 最高な代物だとわかっていても、入るまでの「ああ、うわめんどくせえ!」に負けるのだ。で、そんな日々に終止符をうちたいという一心で、田中みな実が愛用してるといわれる入浴剤を買った。 アマゾンで頼んだら24時間かからずに届いた。とてもはや

「生きのびた」の第一段階あたり【6/17】

生きている年数が徐々に積み重なっていて、世の中的には、存命でいるうちは「若い」とは言われにくい年齢になった。でも、良くも悪くもあんまり実感がない。年齢をちゃんと思い出す機会を作らないと忘れてしまう。 そんななかで唯一、あ〜加齢したんだなと実感できるのが、自分が生きた時代の特殊性やほかの時代と違う部分を認識するときだ。 私の世代は、氷河期の終盤に社会に出た、いわゆるロスジェネなどといわれる層にあたる。社会に出て少し経ったあとにはリーマンショックもきた。雑にとりまとめるとすれ

田中みな実(敬称略)がおすすめしていると、買う。その仕組みについていま思うこと【6/13】

免許合宿から帰ってきて1年以上が経った。 そして私が田中みな実(敬称略)プロデュースのガードル購入を悩んでからも1年が経った。 田中みな実のガードルとは、これのことである。 今はもう、注文ができなかったり、定価よりもずいぶんと高い値段で売買されていたりする。 1年とちょっと前、私は確かに、免許合宿のさなかでこの田中みな実プロデュースのガードルを買おうかどうかをとても悩んでいた。購入ボタンの手前までは辿りついていたし、友達にLINEで報告した記憶もうっすらある。 だが

体育館に隔離をされた思い出【6/9】

中学と高校では、極端なクラスに所属することが多かった。中学のときにいたのは、勉強の成績が学年1位(ただし1人の優秀な生徒が全体を底上げしてくれていた)だけど、運動会ではダントツの最下位というクラスだった。 運動会の途中でふと、「どう考えても、私たちが運動で高みを目指すなんて到底無理なんだから、いっそのことダントツの最下位を目指してしまおう」という話が誰からともなく出て、最終的にはむしろ喜んで最下位に飛び込んでいくような勢いだったと記憶している。 私は全員リレーのトップバッ

サイゼリヤのエスカルゴを昼間に食う。それはある種の豪遊【5/23】

サイゼリアではなくてサイゼリヤだ。1週間に少なくとも3回はその姿を見て、ひと月に3回は訪れているはずなのに、それでもちゃんと間違う。 残念ながら私の脳にはサイゼリヤの名前を正しく覚えておけるだけのキャパがないらしい。なので毎回律儀に検索している。 検索機能ありがとう。心より御礼申し上げます。 ところで今日はそんなサイゼリヤでお昼ごはんを食べたのだが、新しい試みとして、「真昼間にエスカルゴを食う」をやってみた。 なんていうか、なんとなく、今食べるものじゃないなぁって思っ

ひとりで運転ができた【5/22】

去年、運転免許を取って、取った途端に乗らなくなって1年が経った。 1年はとても早い。 免許証は身分証明書以外の機能をすっかり失いかけていた。免許証は財布にもするっとおさまってくれて、とっても便利な身分証明ではあるのだが、このままではいかにもまずい。切実に感じていた。 次第にわからなくなる、アクセルとブレーキの位置関係。 ペーパードライバーの定義にはいろいろあるようだけど、「アクセルとブレーキの位置関係を失念する」はひとつの大きな分岐点だと思う。 忘れてはならないもの

笑わないでいるほうが、難しい人もいるのだ【5/10】

自分でいうのもなんだが、よく笑うほうだと思う。 物心つく以前から、誰に対しても機嫌よく笑う子どもだったと親から聞いたことがある。それから中学生のころ、自転車を漕ぎながらにたにたしているところを友達の親に見られて、「この前あやこちゃん(私)が、自転車を漕ぎながらめっちゃにたにたしていたけど……大丈夫だろうか(意訳)」と聞かれたと友達から申告をもらったこともあった。 大丈夫かどうかは私もわからん。わからんけど、どうやらその笑いは自然発生的なもので、私は笑うことにたいして生まれ

ゆるい坂道はゆるくない【5/9】

ゆるい坂道、っていう言葉の響きがなんかいい。 だけど実際にゆるい坂道を登るとなると結構きつい。 駅から家までの途中には、ゆるい坂道が長くつづいている部分があって、帰宅途中に自転車で登っていると、「あーーー飽きた!」ってなる瞬間がけっこう頻繁にある。仕事終わりの自分には、ゆるい坂道の「じわじわと効いてくる感じ」が身にこたえるらしい。 今日も途中で飽きたので、自転車を降りて歩いた。自転車を押しながら歩いていると、なんだか妙に「今日も1日がまた終わるんだなぁ」という感慨が増し

ラーメンのおいしさの基準が、私にとっては難しい【5/4】

味のことが、たまによくわからなくなる。 たとえば納豆を食べながらふと思う。こんなに鼻をつくような臭みがあって、そのうえ粘りまであって、ひとことで形容しきれないような複雑な味わいを、「おいしい」と思えているのって、一体なんでなんだろうって。 パクチーを食べているときとかにも思う。すごく好きなのに、別のなにかに例えようとすると、香水とか雑草が脳裏にうかぶのだ。苦手と思う人がいることをぜんぜん不思議に思えない。 味の好みって、すごく、すれすれのところで、紙一重で成り立っている

ドラマに捜一が出てくる割合が高い【5/3】

休むことに飽きるまで何もしないぞ。 そう思っててもだいたい、いつのまにか何かしてる。 まず、どんなときでも排泄は外せないし、1食ぬけばすぐにお腹が空く。携帯を充電する必要もあって、春から秋までだいたい花粉症なので随時、鼻もかむ。音が聴きてえ!っていう急な催促が自分からくることもある。 今日は急にモルダウを聴きたくなったのでモルダウをかけてみた。家のなかに充満しているモルダウ、曲の雰囲気としては切なさの度合いがたいそう満ち満ちになっているのだが、無性に休日っぽさがある。