カモといっても動物のカモではない。資本主義において、カモられるのは従業員。
金が動く世界にカモは必ず存在する
要は騙されやすい人ということなのだが、金が動く世界では、必ずらくして利益を最大化させたり、最大化させるためには、誰かが犠牲を被ることになる。
さて、資本主義において、カモって誰だろう?とふと思った。そのきっかけは、今日は有給でのんびり朝起きて、窓を開けたときに、ぞろぞろと足並みをそろえて歩いているサラリーマンを見かけたことがきっかけだ。
資本家からみれば従業員はカモではないのか
さすがのAIも無理がある。はい、そうですとは答えないようだ。金の話をしているのに、スキルだとかキャリアだとか成長できる機会だとか、しまいには「パートナー」という聞こえの良い言葉を使ってくる。
上記5つのポイントを満たしている企業と従業員はこの世に存在するのだろうか?満たしていないのであれば、従業員はカモということになる。
誰がカモかわからなければ、そのゲームでは自分がカモ
資本主義ゲームでカモはだれか?わからなければ、自分がカモである。そういうことを考えたことがない人ももちろん、カモである。資本家からみれば、従業員がカモであり、従業員は誰がカモかわかっていない。だから従業員がカモである。