子どもの頃一緒に暮らした犬の話

物心ついた頃には、ゴールデンレトリバーの女の子がうちにいました。私が1歳の頃にやってきたらしいです。大きな犬と暮らすのが父の夢だったそうです。子ども×犬という、もうどう転んでも可愛い組み合わせなのに、写真が全然ないのはどういうことなんでしょう。

そもそも我が家は写真というものが少ないです。家族写真は私の七五三の時の1枚きりだし、旅行の写真も全然ありません。小学生の終わり頃自分アルバムみたいなものを作る時間があったけど、写真が少なすぎて困りました。先生もちょっと困ってた気がします。

ゴールデンレトリバーの彼女は、私が小さい時にはじゃれついて私を転ばせたり泣かせたりしていたようですが、基本的には大人しくて賢い子でした。私は泣かされたことなんて覚えてません。父はもちろん可愛がっていましたが、躾が厳しく、可哀想だと思ったこともあります。母は動物が苦手でしたが、文句を言いつつ、ご飯あげたの?なんて気にしていたので彼女のことは嫌いではなかったと思います。姉と私はひたすら可愛がっていました。

彼女は大型犬で比較的体が大きいので、私ひとりで散歩に連れて行くことは滅多にありませんでした。小学校4年生くらいでやっと父からお許しが出たような気がします。リードを引っ張る力も強くて、興奮した時は全力で引っ張らないと私の方がお散歩させられてる気分でした。

よく食べてよく笑う子でした。本当は良くないんだろけど、年に1回クリスマスには私たちが食べたチキンの骨をあげてました。ぼりぼりっといい音をさせて食べるところを眺めるのが好きでした。家の鍵を忘れて母の帰りを待つ間におしゃべりするのも好きでした。賄賂としてジャーキーをあげたりしました。

彼女は私が11歳の時に亡くなりました。
朝学校に行く時に「行ってきます」を言った時、どんな顔をしてたのか思い出せません。急に先生に呼ばれて、母が迎えに来て、中学校に姉も迎えに行って、家には父もいました。父はその頃工場勤務だったので平日でも休みの日がありました。

母が中学校に電話した時、姉の担任が「亡くなったのって、犬ですよね?」と確認してきたそうです。母は「えぇ、犬です」とだけ返したそうです。その方が動物と暮らしたことがあるのかどうかは知りませんが、「犬が亡くなったから早退するのか?」と疑問に思う人がいることに対しては、まぁそういう人もいるよな、くらいの気持ちでした。

当時の私はペット葬の存在も知らなかったので、父が庭の隅に大きな穴を掘っているのを見ても何にも不思議に思いませんでした。近くにお墓があれば彼女もさみしくないかもしれないと思いました。穴の底に横たわった彼女に土をかけて、木の板に名前と日付を書いて立てました。お線香もあげました。

たくさん涙が出たけど、お別れが悲しい涙と、以前より彼女への関心が薄くなっていたことへの後悔の涙の両方でした。もっとお散歩に行けばよかった、たくさん撫でてあげればよかった、体を洗ったり、ボールで遊んだりしてあげればよかった。今日の朝、しっかり触れてから学校に行けばよかった。

父は相当ショックを受けて、その後も別の犬を迎えたりはしませんでした。私は友人の家で犬や猫に会うと、また我が家にも来て欲しいなと思いましたが、いつかのお別れの悲しみを避ける父の気持ちもよくわかりました。

私はいつか犬や猫と暮らしたいと思うし、もし親になることがあれば子どもに犬や猫との暮らしを体験して欲しいとも思います。小さい頃に彼女がいてくれたことは私の人生の宝物なので。

そして、もしそれが叶ったら、彼女の分までたくさん写真を撮って残してあげようと思います。美人で優しくて賢い彼女のことなので、ちょっとだけ嫉妬しても、あとは笑って許してくれることでしょう。

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