大森靖子さんの話

「はやく音楽になりたい」

と思ったのです。わたしが、たった今、さっき。

思った瞬間、彼女のことを連想しました。

だからこれはわたしが勝手に妄想した彼女のことです。わたしが思ったこととわたし自身のことに重ねて、勝手に彼女を納得しただけなのです。わたしのような人間がいるから、大森さんはずっと苦しいのだろうな。ごめんなさい。


音楽になることはきっと彼女のテーマで、そうなることこそが彼女にとってのほんとうの幸いなのだろう。

音楽は魔法ではない。なぜならそこにあるから。
でも魔法のように曖昧なものであることは確かだ。
音楽は、そこにあるだけで、人を生かすことができる。

音楽になりたい。でも、わたしだってここにいるのに、音楽になることができない。
人間は、そこにあるだけでは生きてゆかれないから。
そこにあるだけでは、人を生かすこともできない。

それに、そこにあるだけにしては、人間は情報量が多すぎる。音楽は音楽でしかないけど、人間は人間であるというだけで、性別・年齢・美醜・思考・宗教・人生・学歴・お家柄など、いろんな肩書きがある。

最近の彼女を不憫に思います。
彼女は音楽になりたいだけなのに、人間であることを未だに強要され続けている。

顔をなくしたい。できるだけたくさんライブをしたい。

そうだよね、音楽に顔はない。音楽は生活をしない。ライブで、音階やコード進行のごとく表情を変え、表情が変わったことなんか見えないくらい遠くの席にいたってその調子がわかって、彼女自身がどれだけ音楽に近くなっても、歌い終わってステージを降りた瞬間、音楽ではなくなってしまう。車に乗ってお家に帰って、ごはんを食べて寝るのだ。人間だから。

人間であることを強要されている、というのは、音楽以外の私生活をあまりにも求められているということだ。
大森靖子さんは、彼女の望みとは裏腹に、芸能「人」なのだろう。
できるだけたくさん音楽になるために、ライブをするために必要な手段として、音楽以外の場所では人間をやっている。

音楽にインタビュー記事など必要ない。
音楽の作り手は質問に答えられても、音楽そのものに口はないから。
だからきっと彼女にもインタビューは必要ない。
語らないはずの音楽に語らせるなんて、インタビューってとっても失礼な気もする。

それでもありがたく受けているのは、人間としての彼女の優しさであり、仕事なのだろうな。

大森靖子さんは彼女の優しさ故に、きっとこれからもずっと曖昧になることはできないんだと思う。
音楽みたいに曖昧になることはできないんだと思う。
みんなが求めていることに応えて、そのせいで誰かの期待を裏切ったときも、ちゃんと傷ついてくれるんだろう。人間でいてくれるから。

だから、みんな、野暮だよ。たぶん。
音楽そのものに説明を求めるなんて野暮。
優しさに甘えているよ。たぶん。

音楽になったらきっと楽だよ。曲がいちばん偉いんだ。芸術作品だから、評価はされても、誰も変えることはしない。選ぶだけで、矯正しようとする人など滅多にいない。

はやく音楽になりたいよ
きみの好きなことがきみにしかできないことだよ

だからはやく音楽になりたいよ〜

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