きみの私信

堅苦しい話じゃないよ 参考程度に救われてくれたら

ずっと親や学校の先生を尊敬できなかったし正しいと思えなかったので、本当のことって一体なんだろう?と小さい頃から考えごとをしていましたが、色々なことを勉強する中でその考えごとの内容が哲学というものであると知りました。

100%信用できる人間に出会えないのはまあ当然のことなのでしょうと人生早々諦めて、わたしは人ではなく、その考えごとでたどり着いた論を信用することにしています。まだレベル19だけど。

哲学とは、簡単に言うと、なんにでも例外なくあてはまる考え方のことだそうで、つまりわたしの信用できる論もその道の学問に含まれるのかもしれません。ここでは便宜上、その考え方のことを仮に私信と呼びます。

自分が人生で迷ったときや迷っている人を見たとき、相談されたとき、わたしはいつもこの私信を前提に、(自分なら)どうするかなぁと考えるのですが、最近身の回りに迷いのあるひとが多いように思うので発散しておきます、たまたま見つけて参考程度に読んでくれたらもしかしたらなんかが少し解決するかもしれない。
私信はわたしのとっておきの、なんでも解決できるやつなので!エッヘン

🦋

まずわたしはこの世に悪いことなんてないと思っています。
例えば殺人も、人が死ぬことや罰を受けることやそれ以外のいろんなことを背負う覚悟があるならしていいと思う。

ただ、いいことにも悪いことにも、自分の行動に対して人は反応するから、例えば人を殺そうとして返り討ちにあって自分が死んじゃったとしても、仕方ない。

「殺したい自分」と「生きたい相手」がいて、お互いにそういうやりたいことがあって、矛盾していたときに、もちろん強いほうが強い。できなかったほうの力不足。仕方ない。
つまり、

①やりたいことがあって、その責任を負う覚悟もあるならなんでもやればいい
②やり通すのは自分の力

とおもう。
ちなみに「やりたくない」の気持ちも肯定したい。「やりたくない」はつまり「やらないということをしたい」ってことなので、つまり「〜をしたい」と同じ欲求で、例えば、起きたくない=寝てたい みたいな感じ。

自分が強ければわがままは通せます。

それから、「やるかやらないか」「AとBどちらにするか」みたいな悩みは、少し楽に考えると良いよ。
迷うってことは、どちらにもメリットとデメリットがあって、つまりどっちでもいいってことなので。
だから

③迷ったときはどっちでもいい

とおもいます。

以上を踏まえて、みんなもっと勝手に生きればいいと思うんだけどなー。
人生は選択の連続だし、わざわざ過去や常識に縛られる必要なし。常識なんて18までに身につけた偏見です。人によって違います。嘘つき呼ばわりが苦じゃないなら嘘つくのもオッケー。

自分が生きる世界は自分で作ればいい、Aプランで作れないならBプラン、それでもダメならCプラン、だんだんめんどくさくなって別の世界に興味が出たらそっちに行っちゃってもいい。続けてもいい。
やりたくないことやんなくていいしそれで浮いた時間で好きなことしていい。それができないならもっと強くなってできるようにしたらいい。

法律とか校則とか利用規約とか時間とかプライドとかいろんな縛りがあるけどそれ全部守りたくないなら守んなくていいよ。

その反動に耐える覚悟があるなら。

自由は冷たいものだけど、おもしろいもの。

自分がいなくなっても案外世界は上手くまわるよね悲しいけど。でも居てもまわる。
誠意という名の元にすがりついて悲劇のヒロインになるもよし、裏切り者のレッテルを張られてでも離脱して勝手にするもよし。
どっちも幸せじゃん〜

数字や他人の評価はわかりやすいけど貧しい価値観だなと思ってしまいます
もちろん得て嬉しいものではあるけどね
もっと他人に頼らず 自分の目で 自分の自由で幸せとはを決めてもいいんじゃないかなぁ

迷走してきたのでこのへんでおわります
きみもかわいく生きててねー!

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