少女は武装する メカ少女試論、『IS』『艦これ』を例に
「メカ少女」という萌え属性がある。その名前の通りメカニックと少女を組み合わせる、という趣旨で、少女に擬人化された軍艦が戦う『艦隊これくしょん』などその例は数多くある。明貴美加がガンダムのパーツと美少女キャラを組み合わせた『MS少女』を描いたことが起源とされ、最近のものではアニメ化した『フレームアームズ・ガール』が記憶に新しい。コンスタントに類似の作品が供給されていることからも、もはやひとつのジャンルとして確立したと言えるかもしれない。
しかし、ぼんやりとしたジャンルとしての輪郭は持ちながらも、メカ少女は明確な定義付けをされていない。そもそも、その裾野はどこまで広がっているのか。なぜここまでメカ少女は隆盛したのだろうか。本稿ではメカ少女をいくつかの類型に分け、その形態にどのような意味があるのかを考察していこうと思う。
メカ少女の最初の出発点は、無骨なメカニックと可憐な美少女の対比であると思われる。美少女イラストを好む者は傾向としてロボットや戦闘機などといったメカも同時に嗜好し、その両者の融合たるメカ少女が琴線に触れるのは至極当然と言える。「麗しき乙女と戦車は最高のカップリング」と作中で言ってのけた『ガールズ&パンツァー』も、メカと美少女キャラの組み合わせを楽しむという点では広義のメカ少女としてもよいかもしれない。しかし、メカ少女とひとくくりにしても、メカと少女の比率や外装に対する考察の深さによって大きく性質が異なり、このことがメカ少女の厳密な定義付けを困難にしている。ここではまず、メカ少女をメカと少女の比率についてメカが大きい順に「サイボーグ・ロボ系」、「装着系」、「パイロット系」の三つに大別するところから始める。具体例をあげながら分類の説明をしよう。
「サイボーグ・ロボ系」は、メカニックな部分が美少女と一体となっている、あるいは美少女がメカそのものロボットであるメカ少女のことを指す。『最終兵器彼女』のちせ、『planetarian』のゆめみなどが例としてあげられる。これらの作品では、メカと美少女が切り離すことのできないものとして扱われ、それが作品の根幹を支えている。『最終兵器彼女』ではヒロインちせがサイボーグとして改造され人には戻れないという不可逆性が、『planetarian』ではゆめみがロボットであるがゆえ人間とは異質な存在であるという不可能性が、それぞれ作品のテーマと密接に結びついている。
「装着系」は一番ポピュラーでオーソドックスなメカ少女であると言えるかもしれない。美少女はメカニクルなパーツを身に着け、必要に応じて着脱することができる点が最大の特徴である。メカ少女と聞いて多くの人が想像するのはこの「装着系」だろう。例としては『艦隊これくしょん』や『インフィニット・ストラトス』、『ストライクウィッチーズ』などがあげられる。MS少女もこの分類に入る。「サイボーグ・ロボ系」とは異なり、装備を外すことでメカの要素を取り除き、普通の美少女キャラとして扱うことができる。『最終兵器彼女』や『planetarian』などであった不可逆性・不可能性は基本的にない。基本的に、と置いたのは、『艦隊これくしょん』(以下艦これ)における美少女キャラの総称「艦娘」についての解釈に関わってくるからだ。これについては後述する。ひとまず、「装着系」とは、メカ部分が着脱可能であり、メカと少女を分離することができるメカ少女のことだと理解してほしい。
三つ目の「パイロット系」はいわゆるメカ少女のイメージからは少し乖離してしまうかもしれない。『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイ、ガンダムシリーズやその他ロボットアニメの女性パイロット、『ガールズ&パンツァー』の西住みほなどだ。彼女たちはメカの類を直接身体に装備するわけではないが、搭乗型のロボットや戦車に乗り込み活躍する。メカと美少女、という観点で言えばメカ少女の要素を含んでいるが、あくまで彼女たちがメカと一体になることはない。彼女たちの身体の一部がメカになることもなく、そういった意味で完全に人であるとすることができるだろう。
さて、メカ少女を大きく三つに分類したわけだが、このままでは「装着系」のくくりがあまりに膨大すぎて整理しきれていない感が否めない。逆に言えば、最も一般的なメカ少女の形である「装着系」について考えることで、メカ少女を理解することができるのではないか。そこでさらに「装着系」を分けてみたい。例として『艦隊これくしょん』(以下『艦これ』)と『IS〈インフィニット・ストラトス〉』(以下『IS』)を考えてみよう。
『艦これ』は旧日本軍などの艦艇を擬人化した「艦娘」という美少女キャラを集め育成するブラウザゲームであり、2013年からサービスを開始した。現在に至るまでのメカ少女ブームの代表例と言っても過言ではなく、漫画・小説・アニメなど数多くの派生作品が存在する。艦娘のデザインには元となった艦艇の艤装などが反映されており、また戦闘で使われる各艦娘の能力値は史実に基づいた割り振りがされている。プレイヤーは提督と呼ばれ、艦娘たちを指揮し深海棲艦という敵対艦船群と戦う、というのが大まかな筋になってはいるものの、ストーリーモードやエンディングは存在しない。また艦娘および深海棲艦の正体はゲーム中では明確に設定されておらず、詳細な設定などは媒体・作品によって異なっている。例えば『艦隊これくしょん -艦これ- 鶴翼の絆』では艦娘を「史実上の艦船の転生体」とし、『艦隊これくしょん -艦これ- 陽炎、抜錨します!』では「過去の大戦で沈んだ艦船の力と意思をフィードバックされた人間の少女」とされ、作品によって人間として描写されている度合いが違う。このような設定の自由度から、二次創作が盛んであることも特筆すべきポイントである。
『IS』は弓弦イズルによる日本のライトノベルである。女性しか起動することのできないはずのパワードスーツ型兵器「IS」を男でありながら唯一扱うことのできる織斑一夏を主人公とし、IS操縦者育成学校「IS学園」での日常やISを巡る戦いを描いたいわゆるハーレムラノベだ。こちらもキャッチ―な美少女が多く、多数のファンを獲得しアニメ化や漫画化をするなどメカ少女ブームの一端を担っている。ヒロインたちがISを装着した姿はまさしくメカ少女そのものと言ってよい。インナースーツ部分とメカ部分を分け、露出度を確保しつつもメカニックと美少女との対比が行われるようにデザインされている。ここで重要なのが、その対比においてメカが少女の生身の部分を引き立てているという点である。SFチックな説明が加えられた装甲やレーザーライフル・レールカノンといった要素を押し出しながらも、あくまで美少女はISの「操縦者」であり、無機質なメカのディテールは薄いインナースーツに包まれた美少女の肢体を強調する役目も果たしている。
この二作品に登場するメカ少女の最大の差異は「モノから生まれたモノ」と「ヒトから生まれたヒト」である、という点だ。『艦これ』の艦娘は艦艇の擬人化、言うまでもなくモノを美少女の姿形に落とし込んだものである。艦娘がモノかヒトかという設定はメディアにより異なると前述したが、これは原作にあたるゲームでの言及がないために残された想像の余地であり、その可塑性は艦娘が軍艦の擬人化であるが故「艦娘がヒトである」と断言されていないことに起因する。そして艦娘のメカ部分はその出自が艦船であると主張するためのパーツである。対して『IS』のヒロインたちは初めからヒトとしてそのキャラクターと人格がデザインされており、言わばメカ部分はファッションであり属性を付与するためのアクセサリーに過ぎない。両者を隔てているのはモノが美少女となったか美少女がメカを纏ったかの、紛れもなくその成立の違いである。
モノとヒトは何が違うのだろうか。本稿ではこれを「人格の有無」と定義する。モノとは何か。それは所有することができるコレクションの対象だ。マニアを含め広義にオタクと呼ばれる人々は、有形無形問わず蒐集をその行動原理とする。興味の対象に関する情報を知り尽くそうとすることから始まり、プラモデルや美少女フィギュアを集め、ディスプレイし、その一連の過程と結果を楽しむ。つまり、「自分のモノにする」というプロセスを経ることがオタクにとって重要であるということだ。
艦娘のモノであるという性質を考える。艦娘のメカニックな部分が、艦娘がもともと艦船であることを象徴しているというのは述べた通りである。プレイヤーは美少女フィギュアを集めるような感覚で艦娘を自身の手元に集めていく。艦隊“これくしょん”の名前の通り、ゲームの目的は艦娘を所有し蒐集することにある。コレクションという行為が、艦娘がモノであるということを補強しているとさえ言える。対して『IS』のヒロインたちについて言えば、彼女たちはヒトであるがゆえに人格を持ち、主人公との関係は所有という形を取りえない。代わりに読者に提供されるのは美少女に寄せられる好意と甘い日常だ。それは所有―被所有といった一方的なものではなく、人格を持った人と人とのやりとりである。このようにモノであるかヒトであるかという違いは、受け手に何を与えるか、という違いとなって表れてくる。
一方で、装着系の両者に共通する点もある。それは「メカバレ」がないという点だ。メカバレとは、ロボットであったりサイボーグであったりする登場人物が、見ている側に「これは人間ではない」と強く意識させるような展開や場面のことである。例えば『最終兵器彼女』であれば、ちせが戦場で武器を展開し、金属の翼が背中に突き刺さるように生えた姿などは否応なく彼女が人ではないものに変わりつつあるということを読者に認識させるし、『planetarian』でゆめみの内部機械が裂けた胴体からこぼれた姿なども、ゆめみはロボットなんだ、とプレイヤーに再認識させるシーンとなっている。メカと少女が分離不可であると受け手に突き付けるこのような描写は、ともすれば残酷で暴力的にも捉えられかねず、それぞれの作品の根底に流れるテーマと関わっているためにも人を選んでしまう結果にもなっている。しかし、『艦これ』にも『IS』にもそのような直接的な描写はない。『IS』のヒロインは生身の人間であるからしてメカバレは起こりえない。『艦これ』では「轟沈」といった形で危険は提示されるものの、艦娘の腕がもげて内部の構造が明らかになったりすることはない。このことによって、艦娘は「ヒトである」と明言もされない代わりに「ヒトではない」とも確定せず、曖昧な境界に立つことを許される。そして、「サイボーグ・ロボ系」にあったような、人を選ぶメカバレの要素が排除されるのだ。
『艦これ』のように戦艦や戦闘機の擬人化であったりしてモノから派生したメカ少女として他に『フレームアームズ・ガール』や『MS少女』などがあげられる。これらは初めに存在するそれぞれの「元ネタ」が美少女の形を取ったものであり、その性格や人格はすべて後付けである。この場合メカは少女たちがモノであると主張するパーツである。モノであるというその性質から、メカ少女たちは所有やコレクションと結びつき、受け手に蒐集の喜びを与える。対して『IS』のような生身の美少女がメカを纏ったタイプとしては『ストライクウィッチーズ』などがあげられる。このような作品においてメカは美少女にメカ少女という属性を付与する機能を持っており、またメカが美少女の生身の部分を引き立てる役割を果たしている。そして両方のタイプの「装着系」に共通して、メカバレなどメカと少女が不可分であると突き付けるような表現は回避され、あくまでメカ少女を美少女として楽しむことができるようになっていると言える。
いくつか具体的な作品名をあげながら、いわゆるメカ少女がどのようなジャンルであるかを探っていった。メカ少女はメカと少女の比率、どれほどメカと少女を分離できるかによって大きく三つに分けられ、そのうち最もポピュラーであろう「装着系」はモノベースであるかヒトベースであるかでさらに二分される。メカが少女にどのような効果を与えているかが、それぞれのタイプによって異なっていることが明らかにできたと思う。少女が硬質なメカニックで身を固めるのには理由がある。メカ少女という属性はこれからも続いていくだろう。