内田百閒 「琥珀」#1

想像も及ばないほど雄大に流れる時代の流れと些細な日常が触れ合うときがある。内田百閒の「琥珀」は次のような一文で始まる。

琥珀は松樹の脂が地中に埋もれて、何萬年かの後に石になったものである、と云う事を学校で教わって、私は家に帰って来た。(10頁)

酒屋の息子である「私」にとって、酒が漏れないように樽の継ぎ目に塗る松脂は普段からよく目にするものであった。「私」は何万年もの時を経て地中で生成される琥珀の秘密がすぐ手に届くところにあることを知るのである。

学校から帰ると「私」は、さっそく自分の手で琥珀を作ってみようとする。「私」は、倉の脇にある物陰にこっそりと穴を掘ると、そこに従業員から茶碗に分けてもらった松脂をそっと流し込む。あとは、時間が経つのを待つだけだ。

作業を終えた「私」は、「非常な秘密な仕事を成し遂げた後のような気疲れ」(10頁)を感じながら部屋に戻る。もちろん穴のなかの松脂が気になって落ち着くことができず、部屋のなかを行ったり来たりする。

「私」がそわそわしながら過ごす〈時〉と琥珀できるまでに要する膨大な〈時〉がこれ以上ないほど見事に対比させられている。辺りが暗くなると、待ちきれなくなった「私」は、そっと家を抜け出し、松脂を流し込んだ穴を確認しに行く。

真暗がりの地面をさぐりさぐり歩いているうちに、片方の足が、柔らかい土塊をぐさりと踏んだ。その途端に、私は息が止まる程、はっとして、急いで明るい台所に帰ってきた。何となく足が、がくがくするらしかった。その穴の事は、だれにも一言も話さず、まるで息を殺すような、しんとした気持ちで、その夜は眠ったのである。(11頁)

たった四つの文のなかで、「私」の動作は目まぐるしく変わっていく。さっきまで忙しなく部屋のなかを歩き回っていた「私」は、暗闇のなかを「さぐりさぐり」歩く。「ぐさり」と地面の柔らかいところに足を取られた「私」は、それが自分の掘った穴であることに気がつく。「急いで」部屋に帰った「私」は、「息を殺すような、しんとした気持ちで」眠りに落ちる。

もちろん、ころころと変わる「私」の動作の背後には、樹脂が地中で石化し琥珀になるまでの途方もない時間が横たわっている。


また、直接語られることはないが、暗闇のなかで足を取られた瞬間、「私」は自分が琥珀のなかに閉じ込められてしまう恐怖を感じたのではないだろうか。地中を想起させる闇のなか、松脂を流し込んだ穴に片足を取られて、急ぎ明るい部屋へと帰る「私」は、さながら樹液に閉じ込められるところをすんでのことで逃れる小さな昆虫を想起させる。


しかし、一晩寝て翌日になると、昨日の夜の出来事をすっかり忘れたかのように、再び「私」は穴のことを気にし始める。「不安で、待ち遠しくて、予習も勉強も何もできないのである」(11頁)何とか夕方まで待ち堪えた「私」は、穴を掘り返すことに決める。

夕方になって、到底待ちきれないと云う覚悟がついたので、いよいよ発掘する事にきめて、穴の中に手を突っ込んで見たら、松脂の表面にすっかり砂がこびりついた儘、かちかちになったなっている固りがでてきた。(11頁)

「私」は、さっそく「発掘」したものを灯りの下で透かしてみるが、それが琥珀とは似ても似つかない松脂の「固まり」であることを確認する。肩透かしを食った「私」が、それをちり紙に包んでゴミ箱に捨てるところで終わる。


「私」が松脂を埋めてから経過した時間は、多く見積もっても一日半というところだろう。琥珀ができる途方もない時間を考えると、それは無いも同然である。しかし、少年である「私」の体感では、その一日半を途方もないほど長く感じたに違いない。内田百閒は「琥珀」のなかに流れる三つの時間をユーモラスな文体で組み合わせる。「私」の焦燥と悠久の時間の軽快な触れ合いは、それは読むものに拭い難い印象を残す。

注)引用はすべて新潮文庫『百鬼園随筆』内田百閒からのものです。

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